健康に気を付けなさい、という話はよく聞く話ですよね。今は健康オタクといわれる人が出現するくらい世の中では健康に関する話題が溢れています。
でも、信仰の世界にいると霊重視で肉体はつい疎かになりがちです。(かつて私がそうでした。)
若い時は特に気を使わなくても大丈夫だからそんなに関心がないというのもありますが、中には「霊的に」と心がけるあまり、肉体に気を使うことが「肉的になる」のではないか?と思ってしまう人もいるのではないでしょうか?
そのような人は、恐らく肉体の健康に気を使う事と霊的に生きるという事とがつながらず、肉的になる事が心配で、無理してでもお祈りや伝道やみことばを読むことにばかり時間を使ってしまうのだと思います。
特に、真面目で熱心な人ほどこういう思考に陥りがちです。
そんな人にピッタリの言葉が最近読んだ本の中にありました。
『我々はこの肉体という“ボディースーツ”を天から借りている』
これを書いた人はクリスチャンでもなく何かの宗教の信仰者でもない無宗教の人です。世の中には何の信仰がなくてもこのように考えて肉体を大切にしている人がいるのですね。
確かに、自分の肉体は自作したものではなく、また、永遠な存在でもなくこの世にいる間だけ使うものです。
自分の肉体が天から借りたボディースーツだと思えば自然と大切にする心が湧いてきますよね。
服も粗末に扱うとボロボロになってしまうように、肉体というボディースーツも適当に扱うと年齢と共にボロボロになってしまいます。きちんと手入れしてできるだけ長持ちさせたいものです。
また、借りた服をボロボロにして返すことはあり得ないように、天から借りたボディースーツもそうです。
肉体の健康に気を使う事と、肉的になることとは全く別物です。
この世にいる間は、一生健康な肉体で活発に御心を成していきたいですね!