昨日、教育を受けたんです。
教育の主な趣旨は、新しくなりなさい、ということでした。
私たちは日々変化していく世の中に住んでいます。その中にあって永遠に変らない真理の御言葉に出会えたことは人生の中で最も喜ばしいことだと自負しています。
しかし、人々は世代と共に変化しています。感じ方も変わっています。
だからと言って御言葉自体を変えることはできませんが、この素晴らしい御言葉をどう伝えるか、どのようにして御言葉の種を人々の心に植えるか、ということについては日々研究しなければいけません。
自分の伝え方によって本来素晴らしいものが素晴らしく聞こえてこないなら、それはこちらの責任だと言わざるを得ません。
今までうまくいったやり方で良いのか、もう一度振り返って検討してみなければいけないなと改めて深く考える時間となりました。
イエス様が『あなた方の義が律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、決して天国に入ることはできない」(マタイ5:20)とおっしゃいました。
私も信仰歴が長くなっていますし、自分は主を信じているから大丈夫、と安心しながらいつのまにかパリサイ人になっていないか、気を付けなければいけないな、と思いました。
たまった水はそのままにしておくと腐ってよどんでしまいます。流れる水は腐りません。
誰でも自分は流れる水のようになりたいですよね。流れる水のように日々御言葉を実践しながら走り続けよう!と、また一つ決心を新たにしました!
また、このように澱んだ水にならないよう、教育をしてくださる主に感謝するばかりです!
『誰でもキリストにあるならば、その人は新しく作られた者である。古いものは過ぎ去った。見よ、全てが新しくなったのである。』(コリントⅡ5:17)