最近読んだ本の中で印象的な言葉がありました。
『およその物は権力で手に入れたりお金で買えたりするが、知識だけは勉強して手に入れる以外に方法はない。』
そしてちょうど時を同じくしてある有名人がこのような事を言っているのを聞きました。
「自分は潰されて今ある財産を全部なくしたとしても、またすぐに立ち上がる自信がある。それは自分の頭にはたくさんの知識が入っているから。それを使ってすぐに財産を築くことができる。」
ちょっと正確ではないかもしれないけれど、このような感じの事を言っていました。
なんだか不思議ですが、立て続けに「知識」に関することが私の耳に入ったのです。
これは啓示かな?と思いつつ、確かにその通りだな~と思いました。
お金がなくてもいいとは思いませんが、だからと言ってお金さえあれば何でも手に入るわけじゃありません。
知識・知恵・悟り・教訓・・・こういうものはお金で買えません。自分が勉強したり、経験したりするほかありません。
しかも、現実的に「お金だけ」ではどうにもならない場合もあります。
実際、お金をいくらあげても乞食をやめない人もいるという話を聞いたこともありますし、今社会問題になっている40~50代のいわゆるニートは親が生活費をしっかりあげているのに解決できずにいます。また、災害時などはお金より他のものがありがたいという場合もあります。
だからお金や権力ではどうにもならないものというのは確かに存在します。
では、具体的にはどういう知識が本当に大切なのか?例えば芸能情報などはどうか?
そう考えた時、ふと、情報と知識は違うという考えが浮かびました。現代人は情報を知識と勘違いしているのかもしれない、と思いました。
そしてこの聖句が思い浮かびました。
『主を恐れることは知識のはじめである、
愚かな者は知恵と教訓を軽んじる。』
(箴言1:7)
『真理を買え、これを売ってはならない、
知恵と教訓と悟りをも買え。』
(箴言23:23)
知識の根本は神様です。この世と人間を創造なさったのが神様である以上、神様が人間の事もこの世の事もよくご存じだということです。
例えば、時計のことは時計を作った人間がよくわかる。時計自信は分からない、と。そのように人間も人間だけでは限界があるのだと学びました。
だから、まずは神様を認め、恐れ敬うこと、そして神様から学ぼうとすることから全てがはじまるということです。
お金があっても、生きる能力がなければ全て無になります。
気力や希望、精神力もお金では買えません。
生きる能力などの根本的な力は霊的な力です。これは神様から来る力。
ではどのようにしたら神様から力が来るのか、そういうことも学ばないと分かりません。
知識の根本者である神様についてたくさん学んで、学んだ事を実践しながら完全に自分のものにすること、これが知恵になり、教訓になり、悟りになります。そしてこれが何より大きな財産になるのだと思います。
しかもこの財産はどんなに大きく築いても盗まれたり潰されたりする心配がありませんし、散財するという事もありません。自分自身の中にあるものなので。敢えて言うならサタンに奪われることが要注意です。
お金や権力では手に入れることができない「根本的な知識」をしっかり身につけ、永遠に主と共に理想的に生きていきたいですね。