12月は忘年会シーズンです。
今年もいよいよ残り僅かになりましたが、今年は「忘年会スルー」という言葉が注目を浴びていますね。
文字通り「忘年会は参加せずスルーする」という意味。
忘年会をスルーしたい主な理由は、時間がもったいない、気を使わなくて済む人たちと楽しく過ごしたい、上司の自慢話を聞くのが苦痛、お金が高い、そもそも飲み会が苦手・・・等々。上げたらどんどん出てきます。
つまり、忘年会に負担感を感じている人が増えている、という事ですね。
忘年会も大事、と思っている人たちは、普段話さない人と話せる、企画運営力がつく、年一回の懇親の場だから大事…等々。
ただ、一昔前の「忘年会も仕事のうち」という認識は、働き方改革の影響もあり、強制参加にすると時間外労働に当たる可能性が出てきたため、一応任意参加になってはいるようです。
今は強制参加なんて指令を出したら即パワハラ認定されますしね。
ところで、若者に嫌われているこの忘年会、日本独自の行事らしいのですが、一体いつから始まったのでしょうか?
ちょっと調べてみたところ、起源は鎌倉時代の貴族や上流階級の「としわすれ」という行事で、その内容も一晩中連歌(和歌をつなげて詠うもの)を詠むという風流なものだったようです。
江戸時代になると、庶民たちが「一年の労をねぎらい、杯を交わす」という今のスタイルに近い忘年会が存在したようですが、武士階級はしなかったようです。
武士はその代わり「新年会」をしたようですが、新年に新たな気持ちで忠誠を誓うという事を趣旨としているので、飲んで騒ぐという類のものではなかったようです。
今のような忘年会が本格的に定着したのは明治時代からとのこと。
だから、比較的最近と言えば最近ですね。
どちらにしろ、忘年会本来の意味は「一年を振り返り、労をねぎらい、疲れや嫌なことを忘れて、新たな気持ちで新年を迎えよう!」というものです。
こういう事は本当は大事なことだと思うんですよね。
ただ、どんなことも長くなると形式主義に陥ります。
忘年会の「飲んで騒ぐ」という形だけが独り歩きしてしまい、労をねぎらって疲れや嫌なことを忘れるどころか、その会自体が嫌なことになってしまっては本末転倒です。
本当の意味での忘年会だったら神様も喜ばれるんじゃないのかな?
一年間を振り返り、お互いの労をねぎらい、悔い改めと感謝とで今年をきちんと天の前で清算し、嫌なことは引きずらず、スッキリした気持ちで新年を迎える。。。
こういう忘年会なら、同じ使命の同志や一緒に住んでる人たちなど、何人かで恵み深く食事やお茶でもしながらやっても良いかもしれませんね。
ちなみに。。私が昔牧会していた時、12月最後の主日礼拝の後に焼き肉屋を貸し切って「お疲れ様会」と称して教会のメンバーみんなで食事をしたことはあります。勿論お金は天からの奢りで。(笑)
この記事を書いているうちになんとなくそのことが思い出されました。当時はまだ教会の規模が小さかったからできたことですけどね。(笑)
いろんな形での年末の過ごし方や一年の締めくくり方があると思います。
皆さん、それぞれに合った形で主と共に恵み深く有意義な時間を過ごしてくださいね。