今週は平和に関する説教でしたね。
昨日の説教を聞いて私が個人的に思ったのは、平和というのは何もかも蓋をして波風立てないことではなく、罪を自覚し、悔い改めようとしている人に対して、それを責めたり咎めたりせず、前に進めるようにしていくことなのかなと思いました。
何となく、日本人の感覚としては「自分さえ我慢すれば。。」みたいな平和感がありませんか?
それとはちょっと違うのかなと。
先生も、言うべきことは言わないといけない、ともおっしゃってましたし。
感情的に気に食わないとか、そういうのは別にして、相手が明らかに罪を犯しているのにこっちが相手に気を使って何も言わないのは平和とは言わないという事だと思います。
実際、相手が罪を犯し続ければ平和になり得ませんよね?
罪をやめること、つまり悔い改めがなければ平和になりません。
本人が罪を悔い改めるには、自分が罪を犯したのだと認識する必要があります。
罪を認識するには神様の法を学ばなければいけません。
そして、聖霊の感動によって自分が罪を犯したと悟らなければいけません。
ですから、平和を作り出すというのは、ひたすら相手に対して自分が我慢して波風立てないように気を配ることではなく、人が罪から解放されるようにしていくことなんじゃないかと思いました。
まずは、私たちの立場としては、他人のことを言う前に、自分自身が罪を悔い改め、神様の御心に従って前進していくことが大事ですね。
自分が悔い改めた経験があれば、悔い改めようとしている人に対して寛容になれるのだと思います。
また、自分が罪人だった時の事を思い、相手を理解できるのだと思います。
そう考えると、平和とは、悔い改めとセットで成り立つものなんじゃないかなと思いました。
今週はどんな一週間になるでしょうか?
それぞれがそれぞれの位置で平和を成し遂げる一週間になりますように💛