今日はピアノの話題です。(^^)
私がピアノのレッスンを再開してからの最大の課題は「脱力」でした。
というのは、今までの私の弾き方は無駄な力が入っていたから。
勿論、それはわざと力を入れてたわけじゃなくて、自分が昔習った弾き方をしていたらそう言われたわけです。
恐らく、私と同年代でピアノを習った経験のある方ならあるあるだと思うのですが、ピアノを弾くときは指の独立のために指を一本一本上げて下す、というのが基本でした。
ところが、脱力奏法では指は上げてはいけないのです!
指を上げるということは指を上げるための力を入れてることなんですね。
ピアノは鍵盤を押すことで音が出るようになっています。押すと鍵盤が下がるのです。
ですから、基本の位置から鍵盤を押し下げればよいわけで、一々指を上げる必要はありません。指を上げる分、効率が悪いのです。
初めにその事実を知った時には衝撃だったのですが、同時に自分の限界を突破するにはその奏法をマスターするしかない!と確信しました。
しかし、長年やってきた弾き方が身についてしまっていて、指を上げず、手首も下げた状態で弾く、という脱力奏法がなかなかうまくできませんでした。
もう慣れ過ぎて自分としては力を入れている、という意識さえなかったので。
そんなこんなで戸惑いながらもレッスンを再開してから2年以上経過しましたが、最近ようやく脱力が少しずつできるようになってきました!
まだまだマスターしたと言えるレベルじゃないのですが、最初に比べたらかなりマシになった気がします。
力が抜け始めると自分でも以前より弾きやすくなっているのを感じ始めましたし、レベルアップできそうだという希望が自分の中で出てきました!
そんなあるとき、脱力について考えていたら、ふと水泳のことを思い出しました。
水泳も脱力が大事なんですよ。
昔水泳コーチのバイトをしていた時、怖がって縮こまっちゃう子や張り切り過ぎて力んでしまう子はなかなか上達しなかったのを思い出しました。
怖がったり緊張したりしてガチガチに力が入って縮こまっていると身体が水に浮かず、逆に沈んで水を飲んでしまったりするのです。
それで余計に緊張して力んでしまう、という悪循環。
きっと、どんな分野も「無駄な力」というのが自分の発展を妨げるものなんだろうと思います。
どこにも力を入れない、ということではありません。
ピアノも、指先だけには力を入れなければ鍵盤を押せませんからね。
力を入れるべきところには力を入れ、抜くところは抜く。そうした時に一番楽に成果が出せるんじゃないのかな?と。
こうして言葉にすると当たり前でしょ?って感じですが。。。(^^;
多分、信仰生活もそうなんだと思います。
全身力んでガチガチになって走り続けたら限界が来ます。
自分を振り返ってみると、私はどちらかというと、ストイックにすべてに力を入れて走り続けていたような気がします。
それで途中で息切れがしたんじゃないのかな?と。
でも、当時はそういうものだと思っていて走り方に疑問さえ抱きませんでした。
今振り返ると、もうちょっと賢く走れたんじゃないかな?と思うわけです。
そうやって自ら無駄な力を入れて苦しくなったのに神様を恨んじゃいけないですよね。
まぁ、とにかく、「無駄な力」は自分の能力の発展を妨げます。
自分の生き方で無駄な力が入ってないか、点検してみるのも良いかもしれませんね。
どうせ生きるなら、楽しく、そして霊肉成熟した状態で、神様が下さった個性の光を放って生きていきたいですね!