昨日、ふと唐突に思い出したことがあります。
それは先生が以前説教で、いなくなった人についておっしゃっていた内容です。
どういう話かと言うと、『旅をする時は途中で出会って一緒に居てくれる人がいるだけでありがたい時がある。途中で居なくなった人は旅の道連れとして居てくれた人だと思えばいい。』と。大体こんな内容だったと思います。
何でこの話が思い出されたのかは自分でもわかりません。でも急にそれが思い出されました。
でもこの話を聞いた時、妙に納得した記憶があります。
伝道頑張っている方は物凄く分かると思いますが、一生懸命真心こめて伝道してお祈りして尽くしてあげて講義もして・・・という風にやっていて居なくなってしまうと、正直、もの凄く力が抜けますよね。その後腹が立ってきたり悲しくなってきたり。
「あの時間は何だったんだ!私の時間を返せ!!」と言いたくなることもあるし、「なぜこんなことに??」と疑問ばかりが湧いてくることもあります。悲しくて落ち込んだり自信を失ってしまう人もいるでしょうし、人によっては人間不信になってしまうこともあるかもしれません。
でも、「旅の道連れだった」と思えば自分の心と折り合いが付きます。
一人旅をしていると、少しの期間でも話し相手になってくれる人がいたり途中まででも道案内してくれる人がいるだけでありがたいじゃないですか?
そういう存在だったのだと。
一生懸命その人を導いた期間、きっとその人がいたから自分も張り切って走れたのだろうし、成長できたのだろうと。もしその人がいなかったら信仰生活がつまらなかったかもしれないなと。
だからその人は、ずっと一緒に行けたなら良かったかもしれないけれど、そうじゃなかったとしても、その時その時旅の道程で自分の歩みを進めるために、また、自分が退屈しないために神様が送ってくださった人だったのだ、と思えば良いということです。
こう考えると、今まで自分がやってきたことが、たとえうまくいかなかったとしても全て意味のある事だったと思えますし、感謝の心すら湧いてきます。あの期間だけでも一緒に居てくれてありがとうと。
天の考え方を教わるといつも前向きになれますね。
何があっても感謝とは言うけれど、実際悲しみの真っただ中で感謝しろと言われても正直難しいです。でも、感謝できる考え方を教わることで自然と感謝の心が湧いてきますね。
御言葉に感謝です💛