昨日(11/25・水)の夜は名曲の集いでしたが、先生が1曲目の歌の解説をしていた背景の映像を見て、個人的に恵みを受けてました。
先生が、ちょうど食べごろに実った柿の木の前で話していたんですね。
鮮やかなオレンジ色に色づいたおいしそうな柿の木を見ながら、前半期に作られた「聖地の月明洞」という歌を思い出しました。
歌詞の中に「秋には柿食べ~、冬はスキーする♪」というのがあるんです。(笑)
もう今は月明洞も当時よりはかなり立派になっちゃって、その歌の歌詞に出てくるような月明洞とは違ってる状況もありますが、当時と変わらないところは変わらないな~と思って懐かしい気持ちになりました。
その変わらない柿の木を見て、以前先生がおっしゃったことを思い出しました。
人の心が変わっても私の心は変わらないと。
言葉遣いはうろ覚えなので正確じゃないですけど、こんな意味のことをおっしゃってました。
どんなことがあっても先生の神様に対する思い・心情は変わらないのだという意味です。
世の中は変化していくし、教団もどんどん復活して以前よりは大分組織的になったし、自分自身も年取ったり成長したりして変化していきますが、神様に対する心情まで変わったら大変です。
聖書を見ると(特に列王記とか歴代志とか)、最初は信仰深かった王様が晩年には心変わりしてしまうパターンがよくあり、そういう場面を読むと非常に残念な気持ちになります。
昔はそういう場面を読みながら「あ~ぁ。。もったいないな~・・」と、ちょっと他人事のように感じてたんですが、最近は自分の年齢が上がってきたせいか、自分も最後の最後に失敗しないようにしないといけないなと思うようになりました。
一時だけ信仰深かったことがある、という人は昔からたくさんいました。
自分に都合の良い時だけ、良くしてもらった時だけは信仰が良く、指摘されるとすぐに機嫌が悪くなっていなくなる人もいっぱいいました。
でも、神様の最大の祝福はうまく人生を締めくくった後に来ます!
何があっても人生の最期まで神様に対する思いは変わらないようにしたいものです。
そして何よりも、神様もずっと変わらない心で私たちを愛してくださっているという事を忘れてはいけませんね。