今週は金持ちの青年の話が聖書の本文でしたね。
その個所の先生の話を聞きながら、私は何も持ってなくて何も知らなかったことが祝福だったんだなと思いました。
当時は学生でしたから、財産もなかったし、社会的地位もなかったし、世の中も分かってなかったし。。
私の学生時代はバブル期だったので世の中はイケイケ状態でした。
むしろ今の方がおとなしい感じ。(あくまでも私の主観ですが)
だって、当時は就職が決まると企業の拘束というのがあって、それがすごく豪華だったんですよ!
拘束というのは内定が決まった学生が他に行かないよう、学生の心をつかむために、企業側がいろいろやってくれる企画のことです。
例えば有名ホテルでの会食会とか。ディズニーランドで一日過ごすとか。
内定もらった学生は企業が指定するその日にそれに参加するんですよ。
勿論タダで。
まぁ、馬の前に吊り下げたニンジンみたいなものですね。(^^)
よく内定もらった友達が「昨日は会社の拘束で○○に行ってきた」なんて話してましたけど、当時はそういう会話は普通でした。
そんな時代だったのに、会社に就職せず教会で働くようになったのは、今考えるとその時点で社会的地位は捨てたことだったし、かなり大胆だったなと思うんですね。
でも、当時は世間知らずで世の中のことをあまりよく分かってなかったからそこまで深く悩まなかったんですよ。
だから、確かに(今考えると)いろいろ捨ててついて行ったわけなんですが、当時はそこまで自覚はありませんでした。
全く迷わなかったわけではありませんが、若い時って好奇心が旺盛だし、心も擦れてないから「私も神様のために頑張ろう!」という思いの方が勝ったんですね。凄く単純。
多分、今同じことを要求されたら拒否してたかもしれません。(^^;
だから、持っていることばかりが祝福ではないなと思いました。
「ない祝福」というのもあるなと。
その後私は教会でもっぱら霊的なことのために生きていたので、世の中の経済危機などはほとんど無関係に生きてました。
一方、私の大学の友達は(当時)全国規模の大手百貨店の内定を四つもらい、その中でも最大手の一社を選んで企業の「拘束」の恩恵も受けまくってましたが、間もなくバブルが崩壊し、相当大変だったようです。
結局、私は得したのかな。。。(^^)
少なくとも、バブル崩壊も、リーマンショックも私には無関係だったので、そういうことに心を乱されずに生きてこれたのは祝福だったと思います。
というか、世の中がそれで騒がしいこと自体あまり分かってませんでしたから。(^^;;
そんな浮世離れしていてどうやって生きていけるのかと思うかもしれませんが、結構生きれるんですよ。
だから生きていくのに本当に必要な情報って実はそんなにたくさんはないのかもしれません。
いろいろ総合的に考えると、結局は大きな祝福をもらったんだなと思います。
大きな祝福をくださった主に心から感謝します💛