今朝の御言葉を聞いてからあれこれ考えに耽ったことをお伝えしますね。
私が個人的に印象に残っていたのが「リスはチョロチョロ動き回るのが使命だ」ということ。(笑)
確かにそうだな、と。可愛いリスを見ただけで『キャ~!リスだ~💛』となりますよね。 疲れた時とか嫌な気分の時、可愛い動物の姿を見て癒されたり恵みを受けたりすることはよくあることです。
これがネズミだったら捕まえるとおっしゃってましたけど、もしゴキブリとかだったら間違いなく嫌悪感と殺意しかわかないです。だからチョロチョロ動き回るだけで恵みを与えられる存在って凄いな~と思いましたし、こういう存在は絶対必要だな、と思いました。
と同時に、実は人間もそうなれるんじゃないかな?・・・でもかえって難しいのかな?・・・などいろんな考えが頭を駆け巡りました。
チョロチョロ動き回るだけでも恵みを与えられる存在というのは愛らしくないといけないですよね。
ただひたすら愛らしくしていれば良い、というと一見簡単そうだけど、リスとは違って(リスの世界についてはよく知りませんが)、人間は、人間関係のしがらみとか、心の葛藤とかありますし、何よりも霊的に悪い波長を受けたりします。
また、いくら心をコントロールできたとしても、肉体が疲れてしまって全てを放棄したい時もあります。
そうすると自分でも無意識のうちに難しい顔をしていたり、疲れ切った顔をしていたり、ヤル気が出なくてだらんとしてしまったりします。
つまり、人間はいつの間にか自分でも無意識のうちに『愛らしくない』時があるという事です。
これを完全に超越して『いつも愛らしい存在』になるのはとても難しいな、と思いました。
でも、もしかしたら神様は私たちがそうなることを望んでいらっしゃるのかもしれない、とも思いました。
私達はつい、使命の肩書とか、特技は○○とか、何か特別な実力がないと存在意義がないかのように感じてしまいますが、そういう理由で私たちがいつも落ち込んでいたらかえって神様はがっかりするのかな?と。
大体、悩んでいる時って、見る方向は自分自身じゃないですか?神様を見ているようで実は自分の事ばかり考えていると思うんですね。
恋人が隣にいるのに自分自身のあれこれについて悩んでばかりいて恋人が全く目に入らないなら、きっと恋人も愛想をつかしてしまいます。せめて恋人が隣にいる時は笑顔で恋人をほめちぎるくらいの事はできますよね。
そのように、自分の身の上に何があっても、人や物事に躓いても、神様に対する愛だけは絶対的に揺れずにいつも感謝して天の前で笑顔でいる姿を見せたなら、それは神様が力を受けることになるんじゃないのかな~と思ったんです。
人間はリスじゃないから全く同じ使命という事にはならないですが、リスのようにいつも愛らしい姿を見せることも新婦としての使命の一つかな~と思いました。
以前先生から「使命者は辛くても笑っていないといけない!」と学びました。
きっと先生ご自身がそういう風に生きて来られたのだと思います。
私達も、リスに負けないくらい、いつも天の前で愛らしい姿を見せられるようにしたいですね。