今週、ちょっとざわざわした感じ(?)の光景をいくつか目にすることがありました。
とは言ってもニュースになるような大事件とかではないです。
ざわつきの要因になってる人達は特に何とも思ってなさそうで、周囲の人がイラっとするような感じ。
大体、そういうちょっとしたざわつきが起こるときって、誰かが秩序を乱したとか、誰かが自分ルールを発動したりが原因になることが多いじゃないですか?
最近ホリエモンが地方の餃子店でマスク拒否騒ぎを起こしてましたけど、それも同じことですよね?(詳細は数日前のニュースをご覧ください)
本人は自分が正義だから周囲の迷惑より自分の正義が侵されたことの方が心外なんですよね。
ホリエモンの場合は影響力がある人だし本人が騒いだからニュースになりましたけど、私たち一般人が日常の中で遭遇するちょっとしたざわつきは周囲がイライラしながらも、各々がそれを治めて何とかすることが多いと思うのです。
ちょっと度が過ぎる場合は誰かが制止しに来ることもありますけど。
そういう光景を見て思ったことがあります。
ルールや秩序が守られているというのは、安心感につながるのだなと。
日本人は昔からルールを守ることを教えられるし、親からもお行儀良くしなさいと言われて育つことが多いと思うんですね。
若い時はそれを窮屈だとか縛りだとか考えることもありますが、大人になってみると、お行儀良くしていられることの方がよっぽど祝福だなと思うようになりました。
秩序が乱れると、自然と先を争わないといけない状況になるし、いろんな面で安定感がなくなるので常に不安が生じます。
例えば、日本にいると順番に並ぶのは普通ですし、人の前に入り込むのは失礼にあたりますから、わざわざ法律で決められてるわけじゃないですけど、それは自然と守られます。
しかし海外に行ったとき、油断していると普通に前に入り込まれるんですよ。(^^;
最初はすごくビックリしましたし、ものすごくストレスだったんですね。
バスに乗るのも一苦労で我先にバスの入り口に殺到するんです。
その時、そんなことする必要がない日本はいいなと思ったことがありました。
ルール通りに運営される社会とは、ルールに守られた社会ともいえるなと。
勿論、時代に合わないルールは変えていくべきだから絶対という事ではないです。
でも、順番を守るなどの普遍的なルールは暗黙の了解として存在している方が安心です。
そう考えると、時代も人種も超越した普遍的なルールである天の法、御言葉が人々の暗黙の了解になれば、本当に誰もが安心して過ごせる世の中になるんじゃないのかな?と思いました。
そういう面から考えても、この福音をより多くの人々に広めていきたいですね!