先日、ふとメンタルの強さについていろいろ考えることがありました。
私自身は、自分で言うのもなんですが、人生の途中まではメンタルがタフな方だとずっと思ってたんですね。
でも、いろいろ経験する中で、全てが嫌になってしまったこともあったし、実はタフだったんじゃなくて、タフなふりしてただけだったのかもしれないと思った時もありました。
ただ見栄を張ってただけでは??と。
でも、確かに強くたくましく逆境に立ち向かえた時もあったんですよね。。。
いろいろ考えた結果、メンタルの強さというのは元々固定したものではない、という考えに至りました。
単純だけど、心が満たされて力が充満している時は、逆境にもひどい言葉にも耐えられたような気がするんです。
でも、心が疲弊しているときには、以前撃退できた言葉も深く刺さってしまったり逆境に立ち向かう気力もなくなったりしていたなと。
それで思ったんです。体の健康と同様、心の健康も自分で管理する必要があるのでは?と。
身体も、きちんと食事をとって運動もして、体力が充満しているときは風邪が流行っていてもかからなかったり、多少無理しても体調を崩さずに過ごせたりしますよね。
逆に、不摂生で乱れた食生活をし、運動もしないと不健康になります。
心もそれと同じなんじゃないかなと。
昔から「精神を鍛える」という言葉もあるし、そういう教育もありました。
でも、何となく「鍛える」という言葉からは「厳しくする」「耐える」というイメージが付き物ですし、実際に「精神を鍛える」という場面では厳しい訓練的なものが多いと思うのです。
でも、身体の健康を考えた時、過度な運動ではなく「適度な運動」と言われてますよね?
アスリートたちのような運動ではありません。
アスリートは記録を目標にやっているのであって、健康のために運動してるわけではありません。
限界に挑戦してるので健康の範囲を大幅に超えたことをしています。
だから、凡人がアスリートと同じことをしたらすぐに体を壊しますし、そんなことは誰でもわかることです。
なのに、精神になると、やたらと過度に鍛えようとしてしまう習慣があるんじゃないのかな?と思いました。
精神を強く健康にするためには、身体の健康管理と同じく、栄養を取って適度に心を動かすこと。
厳しさに耐えるんじゃなくて、心の栄養になるような良い言葉を入れて、心が満たされた日常を送ること。
これが大事なんじゃないのかな?と思いました。
ところで、身体の健康は自分で気を付けても、心の問題になると、癒してもらう、という形に走りがちです。
そうじゃなくて、日ごろから精神の管理も自分でするように心がけることが最先端の生き方なんじゃないかなと思いました。
心がワクワクしているとき、心が前向きで迷いがない時は、多少外野から心外なことを言われても気にせず突き進めるし、逆境でも立ち向かう勇気が湧いてきます。
ジャンクフードみたいな刺激的な言葉や否定的な言葉は、聞けば聞くほど、使えば使うほど心がもろくなり、傷つきやすくなるように思います。
神様が、元々メンタルの弱い人、元々メンタルの強い人の二種類の人間を創造されたわけじゃありません。
健康管理によって健康体を作るのと同様に、心の健康も自分で管理して常に良い状態を維持していきたいですね。