なんとなく最近考えたことがあります。ただ、あくまでも私の個人的な考えで、反対意見もあるのは承知の上、という前提で読んでいただけたらと思います。
昔の人って強いですよね。いろんな意味で。そう思いませんか?
私が言う昔の人というのは、私の親や祖父母世代の、いわゆる戦前生まれの人や、またそれ以前の昔の日本人。
現代よりどう考えても過酷な環境だったにもかかわらず、また、社会理念なども今より未熟だったにもかかわらず、みんな気丈にたくましく生きてたな~と思うんです。まぁ、弱音を吐ける状況じゃなかったというのもあると思いますけど。
今は「パワハラ」「セクハラ」などの言葉もあって、ちょっとでもそれに抵触すると訴えることもできる時代。今は一人一人の権利や心の状態が尊重される時代です。
「パワハラ」「セクハラ」に関しては私が20代の頃もそんな言葉はありませんでした。だからごく最近できた言葉です。言葉がないということは、概念自体がないという事だと思うんです。
だからと言って、以前はそういう状態がなかったのか、と言うとそうではありません。上からの理不尽な対応というのは、昔からあったし昔の方がひどかったと思います。
今思い起こすと、昭和の時代は部活などで理不尽に怒られても「ありがとうございます。」と言わなければいけなかったところが多かったと思います。
理不尽に感情的に怒り出すのは全く良くない行為だし、それを肯定するつもりは全くありませんが、ただ「ありがとうございます。」という対応が人を弱らせなかったのかな、とも思うんですね。
実際、全然ありがたくないですよ。感情的には自分がどんなひどい目に遭ったかを訴えられる方が、気持ちも落ち着くし楽になるとは思うんです。
でも、自分がどんなにひどい目に遭ったかを言う時は、どうしても否定的な感情が湧いてきますよね。出てくる言葉も否定的な言葉が出ます。
一方、「ありがとうございます。」は内心どんなにムカついていても出した言葉は「ありがとうございます。」なんです。
よく、自分が発した言葉を自分が聞いている、というじゃないですか。
実際はそう言わざるを得ないから言ってただけですけどね。(反論しようものならもっと痛い目に遭いますから。)
パワハラ関連だけじゃなくて、生活自体もやることが多くて大変でした。身近なところでは、私が子供の頃は洗濯機は二層式でしたし、ルンバもないし、電話も家電だけだったし。
また、男性も会社員は週休二日ではなく、普通に土曜日は出勤でした。
今よりはず~っと肉的にも大変だったし個人の権利は守られてない時代だったにもかかわらず、人々がたくましかったのはなぜなんだろう?と思うんですよ。
それでなんとなく、社会全体が優しくなっていく分、人は弱っていくのかもしれないな、と思ったんですね。
ぬるま湯につかってる感じ。ちょっとでも熱かったり冷たかったりしたら文句を言える時代。自分には不快だから他に行きますと言っても許される時代。
だからこそ、意識的に、自分自身がぬるま湯じゃなくても生きて行けるように心がける要があるのかな、と思いました。実際、世の中はぬるま湯だけじゃないので。
結局、躓いても何があっても、立ち直るかどうかはその人次第です。
何でも訴えて聞いてもらうだけじゃなくて、時には「ありがとうございます。」と言って終わらせる精神もあると良いのかな?なんて思いました。