昨日の説教を聞いて思ったこと。
私達現代人って何事も根拠を求めるじゃないですか?
なのに神様についてはいつの間にか根拠もなく勝手な思い込みで対応してしまっているなと。
それは神様を信じている人も信じていない人も。
例えば、神様を信じない人あるあるでは「神様がいるのにどうして○○なの?」とか「神様は全知全能なんだからこれくらいできるはずでしょ?」など。
そういうこと言う人って大抵きちんと神様について勉強した人じゃないですよね?
ほとんどが「神様なら○○なはず」という上から目線な勝手な解釈です。
「何を根拠にそう言うの?」と聞くと根拠は答えず「だって全知全能の神様だったらそうでしょ?」と自分の(または周囲の)考える神様像を前提に答えます。
つまり、神様に対する偏見。
そしてそれが私たち信仰者にも少なからずあるという事を認めざるを得ないのだなと。
恐らく、途中で挫折する人のほとんどはこういう思考だと思うんですね。
何か嫌なことがあるたびに「せっかく祈ったのに。。。」とか「神様を信じてるのにどうして嫌なことが起こるんだろう?」など。
でも、きちんと神様について勉強して神様について理解すると、こういういつの間にか出来上がっている「神様像」は間違っていることがわかるのです。
神様にも喜怒哀楽があり、人間が何をしても笑ってばかりいるわけじゃないことや、神様が人間に対して手を出せる範囲とそうでない範囲があるという事など。
昨日の説教の中で私が個人的に印象に残ったのは「これからは医者ではなく患者が次元が上がらなければいけない」という話。
確かにな。。。と思ったんです。
医学が発達して様々な病気の因果関係が少しずつ明らかになってきて、私達にも注意喚起が成されるようになりました。
一番分かりやすい例が喫煙。
今では「喫煙は身体に悪い」という事は当たり前のようになってますが、私が子供のころはタバコは「専売公社」という国営企業で売っていたんです。
だから当時の人は何の罪悪感もなく普通にタバコを吸っていたと思います。
でも、専売公社も民営化され、だんだんタバコが身体に悪いという事が分かってきてからは次第に吸わない人が増えてきました。
今では喫煙者が少数派になりつつあり、そういう人が病気になっても同情されなくなる傾向にあります。
喫煙していたんだから仕方ないよね、と。
これは暗に「タバコは身体に悪いという事を知らなかったわけじゃないよね?」という前提があるからです。
なのに、患者本人が「私は祈ってたのにどうして治らないの?」とか「神様は全知全能なんだからタバコ吸っても治せるはずでしょ?」などと言ってはいけないでしょう。
だから「患者が次元が上がらなければ」という話になるわけです。
霊的なことも同じです。
聖書をしっかり勉強すれば、神様の全知全能さはどういう風に現れるのか悟れるようになりますし、人間の責任分担も分かるようになります。
人生に必要な真理を教えてもらったのだから自ら分かってできるわけです。
少なくとも向かうべき方向は分かります。
自ら暗闇に入って行っているのに「こんなに祈ってるのにどうして光が見えないの?」と言ってはいけないという事です。
神様は神様の範囲で完璧にしてくださいます。だから完全な存在者です。
人間は人間の範囲できちんとできないからそれが問題です。
人間の責任分担なのに神様のせいにしてはいけません。
これからは信仰者が次元を上げなければいけないですね。
[…] ついでに紹介しとこ。これは今日読んでて「めっちゃそれな」って思ったクララ牧師のブログです。『信仰者の方が次元を上げよう!』 ⇦読んでみてほしいっす。 […]