「平素が本番に出る」とはよく聞く言葉ですよね?
聖書にも、平素から人をもてなしていたロトが、平素通りに旅人をもてなしたら天使だった、という話もあります。
この「平素」というのは文字通り平素の時には、良くも悪くも特に注目されることもありません。本番で初めて際立つものです。
しかも、この場合の「本番」は、舞台の本番と違っていつやって来るか分からないものです。
場合によっては本番の自覚もなく通り過ぎる事もあります。後から思えばあれが本番だったのかな?と。
それで、、、なんとなく思ったのですが、今って本番に当たるんじゃないのかな?と。
このコロナ体制で、かなりいろんな分野で善悪分立されてるな~と思ったのです。
今までも薄々問題だと感じていながら放置していたものが露呈したり、逆に今まで着々と進めていたことが功を奏したり。
私達で言えば、インターネットの生中継配信というのがあります。これはかなり前からやり始めていました。
ですから、もう平素のことのように、一斉にモバイル礼拝に移行しました。
この移行で特に混乱はなかったように思います。
今まで長い時間をかけてシステムを構築してきたからです。
会議や聖書の講義もオンラインでやったりしてますよね?
でも、そういうシステムがない所は大変です。事実上「休業」状態にせざるを得ません。
会社などでも、在宅業務に切り替えられない会社が非難されたり社員から不安がられたりしているようです。
この期に及んで通勤させる会社はブラックだ、と。
実際にブラックなのかどうかはわかりませんが、社会情勢上そう言われてしまっているんですよね。
全体的に見ると、どんな分野でも「時代に合わない」モノやシステムが今回打撃を受けたように感じています。(あくまでも私個人の見解ですが。)
だから、時代の流れをつかんで生きることってとても大事だなと改めて思ったのです。
平素に何事もなかったときは差がつきません。でも、こういう「本番」の時に明暗が分かれます。
時代の流れの根本は神様です。この世のものは天のもののひな型と影ですから。
私達は神様の時に合わせて(先生の指示に従いながら)頑張っていただけですが、おかげで今特に影響を受けずにいます。
そう考えると、平素から神様の時に合わせて生きること自体が勤勉な事なんじゃないかな?と思ったんですね。
神様の御心通りに生きることは、時には大変だったかもしれません。けれど、今功を奏しています。
事実、感染リスクが高いとされてるのは、いずれも私たちの中では禁止事項の事ばかりじゃないですか?
生中継配信も、始めたころは賛否両論ありました。でも突き進めた結果、今があります。
肉的に考えても、時代遅れのものは廃れていきます。
逆に言うと、今の時代にふさわしい方法を会得しないとうまくいきません。
だから、自分なりに頑張ることが勤勉なのではなく、時代にふさわしい生き方をしようと頑張ることが勤勉な事なんじゃないかなと改めて思ったわけです。
自分がどんな状態であっても、神様に波長を合わせて、時にふさわしく生きていきたいですね。
【追伸】
ミカとクララシリーズの一つ「サクセスストーリー」で時と勤勉についての話があるのでよかったら参考にしてください!
『勤勉な人』(サクセスストーリー ~成功の秘密~より)
http://pastor.tokyo/charis/writing/38-hardworking-person/