私が新入生の時、私に聖書をたくさん教えてくれたお兄さんがいたんですが、その人はバリバリの理系で、理論物理の修士課程まで終えた人でした。
残念ながらその人は今いないんですが、その人が言っていたことで心に残っていることがあります。
それは、「科学も全て仮定だ」ということ。
大抵、科学的根拠というのは、実験や観察などで集めたデータをもとに答えを導き出すわけですが、それはあくまでも仮定なのだそうです。
言い換えると、そう仮定するとデータと辻褄が合うから恐らくそれが答えなのだろうという事のようです。
ですから、いつでもその答えは覆される可能性があると。
実際、その「答え」とされるものが導き出された後、さらに科学が進み、違う実験などでその仮定に対する反例が一つでも出れば一瞬で答えは覆されるのだそうです。
その思考方式で行くと、見えない神様をどう信じるのか、という事に対して、「神様が存在する」と仮定する方が世の中の様々な現象に対して辻褄が合うのだと言ってました。
ですから、半信半疑の人は「そう仮定してみる」という事をすればよいと。
聖書の言葉を真理だと仮定してそのように行なってみる、イエス様をメシヤだと仮定してその方として接してみる、という風に。
その結果自分に救いがもたらされたなら良いわけです。
そうなればきっとその人は聖書やメシヤに対する認識が仮定から信仰に移っていくでしょう。
宗教だけが信じることではなく、科学だってそう仮定してそう信じてるだけだと思えば気が楽です。
神様に対して「仮定」なんて失礼な!!と思うかもしれませんが、結果的に信仰になるならそれも一つの方法かな。。なんて。。個人的には思います。
勿論、信仰深い人はわざわざ仮定する必要はないですよ。最初からハッキリ信じれば良いのです。
結局、この世の中って全て仮定して信じるしかないんじゃないのかな。。
神様の創造物や神様の行いを全てこの世で人間が正確に把握するなんて不可能だと思うから。
きっと天の世界に行けば確実なものが見られるのでしょうね。
この世の中に生きている以上、全てのことを正確には分からないのだから、宗教があってもなくても「そう信じて生きていく」ということしかできないのでは。。なんて思う今日この頃です。