「問題」について今朝思ったこと。
今朝の箴言で「問題は自分が間違ったことによっても来るし、御心があってくる場合もある。」というのがありました。
これを聞いて「そうか。。御心があってくる場合もあるのか」と思いました。その場合はきっと「問題」ではなく自分に課せられた「課題」ですよね。
恐らく、それは是非ともクリアしなければ自分の次元が上がらないのだと思います。
ただ、ここで考えなければいけないのは、その「問題」が自分の間違いによって起こったのか、御心によって起こったのかを教えてもらえるわけじゃない、ということです。
自分の間違いによって起こった問題なのに御心だと思ったらもっと間違うし、御心によって起こった問題なのに自分の間違いだと思い込んだら天に対して誤解をしてしまう可能性があります。
ではどうやって見分けるのか?これは自分が聖霊の感動で霊感を受けるしかありません。誰かが教えてくれるわけじゃないのです。
だからこそ、毎日祈って日々の事を振り返り、感謝すべきことは感謝し、悔い改めるべきことは悔い改め、求めることは求め、御言葉で行くべき方向性を確認し…等の事が大事になってくるのだと思います。
自分が間違うことが御心の場合もあると思います。誰も自分が間違おうと思って間違う人なんていないじゃないですか?意図的にやってない分、自分の間違った習慣や考えというのは自らは気付かないのです。
だから問題になるようにして気付かせてもらうこともあると思います。
そうなると、問題を嘆くよりは感謝の心が湧くでしょう。
いずれにしても、日ごろ天とどのような関係を築いているのかで問題に対する姿勢が変わってくると思います。
そして問題というのは「解決できる」ということです。解決のために天が様々な形で助けてくださいます。人を送ることで、霊感で、聖書の言葉で等々。
正直、次から次へと問題が起きると本当に嫌になってしまうのですが、それでもその都度天と共に解決する経験を持つとそれが天との経緯になり自分のキャリヤにもなります。
問題によって自分の性格を直したり、問題によって新たなアイディアが出たり、視野が開けるきっかけになったり・・・。
私が今の年齢になって思うのは、若い時は肩書とかネームバリュー的なことが重要に感じていたかもしれないですけど、今はやってきたことが自分の財産だな、と思ってます。
たくさんクリアしてきたからこそ語れることがあるし、たいてい経験済みだからちょっとの事では動じなくなります。
勿論まだこれからも人生があるし問題も起こると思いますが、経験上「必ず解決できる」という前提に立って立ち向かうことができるのが大きな強みになってるような気がします。
天と共に、自分の身に起こる問題とうまく付き合いながら、逆に自分の人生を豊かにしていければよいですね。