今朝の先生のメッセージで、自分が天国じゃないと環境の天国も楽しめない、というような内容があったと思います。
この話を聞きながら、以前バイブルスタディーにあった「千年王国論」の講義を初めて聞いた時の感動を思い出しました。
今はプログラムにないんですよね?個人的には好きな講義だったんですけどね。復活しないのかな。。。なんて。。(^^;
私は元々クリスチャンでしたから、天国に対する思いというのはありました。
ただ、今になって思えば、当時は何となく、漠然と自分は天国に行くのだ、くらいに思っていただけですね。
でも、「千年王国論」の講義を聞いて、天の天国に行く前に、地上天国を成すことについてハッキリとわかり、ものすごく感動したのです。
天の天国だけしか考えないと、生きているうちはただ信じればそれでいい、という事になってしまいますからね。
ところが、ここで初めて、「地上天国」「個人の天国」という概念を学びました。
まず、この世で生きている間に自分自身を天国に作り上げなさいと。それが広まって村の天国になり、民族の天国になり、世界の天国になっていくのだと。
地上で成した分、天でも成されるわけですから、これは決して肉的なことではありません。
そして私が何よりも驚いたのは、「天国は作っていくものだ」ということ。
人間である自分が天国を作っていく。。。これってある意味衝撃じゃないですか?
それと、天国って、どこかにあるもの、という考えもあったと思います。
しかし、まずは自分が自分自身を天国に作ること。ものすごく現実的です。
しかも、その天国は自分の心にあるという事。
その根拠となる聖句が【ルカ17:21~21】ですが、その聖句にも感動しました。
パリサイ人がイエス様に「神の国はいつ来るのか?」と質問したことに対して、イエス様が「神の国はここだ、あそこだ、とは言えない、あなた方のただ中にある」と答えたのです。
イエス様がハッキリと「神の国はあなた方のただ中にある」と答えているわけです。
つまり、心が大事という事ですよね。
心が大事、というと、信仰のない人でもそんなの当り前では?と思うかもしれません。
でも、実際私たちのしていることって、結局は成功者と言われる人を目標にしたり、学歴・年収・地位、ルックスなどで自分を測ったりしている現実があります。
そしてそれがあるかないかで気持ちがアップダウンします。
ですから心の中心は世の中で見聞きするものではなく、自分を創造してくださった神様に向けることが大事だということです。
今でこそ、世の中も「個性が大事」なんて言われ始めたからイマドキの人達は聖書を学んで「一人一人が個性の王様になる」と聞いても当たり前だとしか思わないかもしれません。
でも、私がこの講義を初めて聞いた約30年前は昭和が終わったばかりの時でしたから今とはだいぶ世の中の雰囲気が違いました。
ですから、心の天国の話、個性の話を聞いて、肢体の比喩の聖句(コリントⅠ12:12~)を学んで、ものすごく感動したのです!
逆の言い方をすると、だんだん世の中が御言葉に追い付いてきたのかな?と思います。
それでも、世の中で自分の個性を見つけるのは試みが多くて難しいでしょう。なぜなら世の中は華々しいもので溢れているからです。
どうしても華々しいものに人の目はいきますからね。でも、個性がそこにあるとは限りません。
世の中ばかり見ていると「個性がわからない病」にかかってしまうのではないかなと思います。
個性は神様が与えてくださっているものです。それを発見して伸ばしていくのは自分の責任分担です。
自分に対する神様の御心を考えながら日々神様に対して誠実に過ごすことで見えてくるものじゃないかなと思います。
結局は。。とてもシンプルですが、常に神様の御言葉を心の中心に置き、御心を成していくことで心の天国が作られていくということです。
世の中の崩壊とともに自分も崩壊する、なんて人生は嫌ですよね?
むしろ、何があっても感謝して平安な心で自分の個性を発揮し続けていたらどんなに幸せかなと思います。
改めて、天国について学べることに感謝ですね。