私は母がカトリック教徒だった影響で昔から教会という所には抵抗がありませんでしたが、決して昔から信仰深かったわけではありません。
カトリック教会の聖なる雰囲気とかは好きでしたけどね。
ほとんどその雰囲気に浸る目的で行っていたようなものでした。(^^;
でも、きちんと聖書を学んだことはなく、自分でも神様を信じているのかいないのかよく分からない感じでした。
教理もイマイチ理解していませんでしたし。
また一方では、見えない世界や見えないものに対する興味関心というのが人一倍あったようにも思います。
子供のころからTVで心霊特集とかやってると必ずチェックしてました。
私の年代の方々は良くご存じだと思いますが「あなたの知らない世界」をよく見てたし、「3時に会いましょう」という午後の奥様番組の毎週何曜日かが心霊特集だったのでそれも欠かさず見てました。
学校の図書館で「世界の幽霊話」とかもよく借りてましたね。
それくらい興味あったにもかかわらず私自身は一度も心霊体験というのはありませんでした。
残念ながら、どんなに関心を払っていても、見えるとか、聞こえるとか、言い当てるとか、分かっちゃうとか、そういう類のことは私には全く起こらなかったんです。
ただ、不思議なことに、部屋に一人でいるときとか、外を一人で歩いているときとか、ふと誰かに見られているような感覚というのはありました。
それは背後に誰かがいるような感じではなく、大きな存在に天から眺められているような感覚。
それで、一人で部屋の掃除をしているときなど、自分では面倒だから適当に終わらせようと思ってるのに、ふと上から見られてるような気がして隅々までやってしまったりなどありました。
今になって考えると、それが一番良い心霊体験だったのかもしれません。
ただ、おかしなことに、当時はそれと神様が一致してなかったんです。
何となく「見られている感」があったというだけで。
後に伝道されて聖書を勉強しながら「あの時のあの感覚は神様に見られているという事だったのだな」とようやく理解しました。
伝道されてから、それまで個々の体験として別々に認識されていた「教会」「心霊特集」「見られている感」が全て一致して私の信仰の土台となりました。
あんなに心霊特集にハマってたのに、オカルト的な心霊体験を一度もすることなく、まともな方向に導いてくださったことに感謝です。
一歩間違うと危ない方向に行ってた可能性もありましたからね。(^^;
子供のころの自分を思い浮かべながら、伝道される前から神様が霊的にいろいろ私に合うように導いてくださったし、守ってもくださったのだなと改めて実感しました。
神様の全ての導きに感謝します💛