今週、百卒長の話がありました。
自分の部下を癒してもらいたくてイエス様の所に来た百卒長。
先生が百卒長についておっしゃっていたことが妙に納得しました。
ユダヤ人は全くイエス様を信じなかったのに百卒長が信じたのはどうしてか?
・・・それは、百卒長がローマ人だったからだ、と。
百卒長は、ローマ帝国の軍の長。百人隊長とも呼ばれます。
つまり、ユダヤ教徒ではなかったという事です。
ユダヤ教徒たちは従来の考えに縛られて固定観念が強く、イエス様を受け入れることができませんでした。
しかし、百卒長はそういうものには縛られず、イエス様の数々の業績を見聞きして、良いものは良い、と判断できたのだと。
あぁ。。確かにそうだな、と思いました。
キリストが、なぜ待っていたユダヤ人ではなく異邦人にむしろ広がったのかと言えば、良いものは良い、と判断できたからなんですね。
改めて、固定観念や思い込み、縛られた考えって怖いなと思いました。
良いものは良い、悪いものは悪いと判断する心。
とてもシンプルなんだけど、これが運命を左右するわけです。
そう考えると、日本人も百卒長と同じ立場です。
バイブルスタディーを教えていても、復活は霊だ、個人の人生は絶対予定ではなく責任分担がある、といったところで反発する人はほとんどいませんでした。
むしろ、肉体が復活すると思ってる人なんているの?という反応だったと思います。
でも、文字通り信仰が身についてしまった人たちにとっては一つ一つが一大事。
御子本体分体が解かれた時も日本はそんなに混乱は起きなかったと記憶していますが、本場は混乱した人がかなりいたようです。
そんなことがあっていいのか?!と思うくらい既成概念を覆すものだったからです。
人は一度「違う」と思ってしまうと、その人のやることなすこと全て間違っていると思い込みます。
でも、癒されたと言って喜んでいる人たちやその御言葉で救われたと言って喜んでいる人たちがいる・・・その人たちは実際喜んでいるのだから一々いちゃもんつける必要ないですよね?
良いものは良いのです!
百卒長の話を聞いて、日本人は聖書を知らないから不利だ、とばかり思わない方が良いなと思いました。
むしろ有利じゃないですか?
私たちはパウロにはなれなくても百卒長にはなれそうですよね?
日本が異邦の地であることは実は感謝すべきことだなと思いました。