今朝、先生のメッセージを聞いて、なんとなく「宝の持ち腐れ」という諺が思い浮かびました。
神様に栄光を帰することをお金に喩えてくださいましたね。
神様に栄光を帰することは、お金を使って享受するのと同じだ、と。
なるほど、そうか!と思いました。
確かに、お金を溜め込むばかりで全く使わないと、何のためのお金か?という話になりますよね?敢えて言うならとりあえず安心のため、という感じでしょうか?
実際、お金は必要なところに使うことで自分の生活が豊かになったり、心が満たされたり、不自由さから解放されたり、人の役に立ったり。。。など、使って初めてお金の価値が発揮されるし、お金のありがたさを享受します。
神様に栄光を帰することもそういう事なんだな~と思ったんです。
信じてるだけでも、とりあえず神様の主管圏にいるから安心、というのはあるかもしれませんが、神様に栄光を帰して神様と共に生きることにより、より多くの祝福を受け、神様との経緯も増え、より感謝が増し加わり、人生そのものを享受する事ができるのだな~と。
神様を信じていて御言葉も学んでいるのに御言葉を実践しなかったり、祈らなかったりなど神様に栄光を帰さないのは「宝の持ち腐れ」に等しいのだなと。
「宝の持ち腐れ」とは、辞書を引いてみると、
- 役に立つものを持っているにもかかわらず利用しない事
- 才能があるのにそれを発揮しない事
と書かれています。
神様に栄光を帰さないのは神様という宝を使わないのと同じことだという事だと思ったんです。
凄く勿体無いと思いませんか?
以前先生から、神様は愛する人にあげたいものがたくさんあって天の倉庫にはたくさん詰まっているのに、人間が求めないから与えられない、と学んだことがあります。
人は自分の敵や嫌いな人から何かもらったら複雑な心境になりますよね?場合によっては何か裏があるんじゃないかと思って気持ち悪くて捨ててしまったりもすると思うんです。
でも、好きな人、愛する人からもらったら何でも嬉しくて大事にするのではないでしょうか。
だから、神様は神様を愛している人にあげたいのです。そうじゃないと、もらっても簡単に捨ててしまいますから。
さらに言うと、神様だって愛する人から『愛してる』と言ってほしいし、愛する行いをしてほしいと思っているのです。
それが祈る事であり、みことば通りに生きるということです。
私達も自分の愛する相手から愛していると言われたら嬉しいし、自分を喜ばせようとしていろいろしてくれたらもっと愛したくなりますよね?
神様もそうだという事です!
私達はせっかく世界最強の宝を持っているのだから、それを輝かせて享受して生きて生きたいですね!