昨日のレジリエンスの記事を書きながら思い出したことがあります。
それは、1998年に内部(主に東京)で起こった出来事です。とは言っても、当時指導者じゃなければよくわからないことだと思います。
当時は男性の宣教師がいて、その宣教師を中心に、毎週日曜日は一か所に集まって礼拝を捧げ、その後全員同じスポーツの会場に移動するという日程でした。
スポーツも宣教師を中心に行い、スポーツ後も着替えて体育館を出た後、みんなで集まって(外で)宣教師の話を聞く、というプログラムでした。
これが毎週毎週です。
その時私はまだ初任牧会の時で、東京の郊外の教会にいたのでとても大変でした。
礼拝もスポーツも会場がとても遠い場所だったので。車がないととてもじゃないけど毎週はこなせないスケジュールでした。
朝7時前に出発して帰宅できるのは夜の12時前後。これが毎週だったのです。それでもメンバーは頑張っていましたよ。
でも、新入生を連れて行くのは一苦労です。車に乗せてあげることができなければほぼ連れていけません。公共の交通機関を使うと片道2時間以上かかり、かつ交通費もばかにならなかったからです。
こういう実態を知った先生が、’98に体制を変えてくださいました。
これからは各教会の牧会者がそれぞれの場所で礼拝もスポーツもしなさいと。
私は、さすが先生!!と思って感謝しました!
というのは、当時はその体制に文句を言うことが御法度のような空気だったからです。
私は一度あまりに遠くて大変だし伝道にも影響があるからと宣教師や中心的な指導者に現状を言ったことがありました。ところがその時の返答は。。。
「田舎なんだから我慢しなよ。」
「そんな遠い大学は伝道するのやめれば?」
これ、信じられますか??
こんな感じだったからもうそれ以上は何も言えなかったのです。当時私もペーペーでしたから。
それを先生が変えてくださったのでとても感謝しました!
それで早速教会の近くの施設を調べまくって、すぐに体制を切り替えました。
そして感謝なことに、その後はものすごく伝道がやりやすくなり、メンバーの負担も減ってどんどん宣教が進みました!ハレルヤ!!
ところが。。。この体制変化を不服に思う人たちがいたのです。
宣教師がかわいそう。。。宣教師中心に日本はうまくやっていたのに誰かが先生に悪く報告したのだ。。。等々。
それで一部の人たちが、もう一度宣教師中心の体制に戻そうとしていました。
それだけではなく、新体制に順応しようとする指導者を裏で悪評していたそうなのです。(私は後でそのことを知りました。)
私も相当悪評されてたようなんですが、郊外にいたことが幸いし、タイムリーには私の耳に入りませんでした。(^^;
私の耳に入ったところで「先生の言う通りにしました」と言えばおしまいですけどね。
まぁ、その後もあれこれありましたが。。。。結論だけ言うと、当時先生の判断を不服に思って宣教師体制に戻そうとしていた人たちは今いません。
その人たちの最後は正直ちょっと悲惨でしたね。。(>‗<)
昨日の続きのようになってしまいますが、変化に逆らっても意味がありません。
特に天が大々的に流れを変えた時は、どんな言い分があろうと元には戻りません。素直に従うのが知恵です。
ルシファーがルシファーになった原因がまさしくそれですからね。
当時の宣教師は「5年後にはまた自分が必要なる!」とか「きっとみんな後悔するだろう」などと豪語してましたが、5年後になっても必要にはならなかったし、後悔する人もいませんでした。
むしろ、5年後には反対派はほぼすべていなくなってました。
新入生の時に聞いた譬えですが、南極の氷山が南に向かって流れているときに、氷山の上で自分が北に向かって走っても北に行くことはできない、と。
確かにそうですよね。土台の流れと反対方向に自分が走ったとしても結果としては行けません。
皮肉なことにこの譬えを私に教えてくれた指導者がその時の反対派だったのですが。。。
今、様々なことが大きく変わろうとしています。
この大きな流れに逆らっても何も有益なことはありません。
この流れに乗ってどうすれば最善になるのかを考える方が知恵です。
天とよく相談しながら自分がどう進むべきかを考えていきたいですね。