今週の説教を聞いて個人的に思ったこと。
私自身もそうだし、何となく日本人の特性のような気もするのですが、困ったことに対して切実に願い求めるという事が弱いのかな?と。
よく「大人の対応」って言うじゃないですか。
日本は昔から自然災害が多くて自分の意志ではどうしようもないことをたくさん体験するせいか、どんな状況も受け入れることが潔いような風潮がありますよね?
例えば、大切にしていた鳥が飛んで行ってしまったという場合、私なら「鳥は元々大空を飛ぶようにできてるのだし、鳥はかごから出る方が幸せなのかも」などと思って、残念に思いながらも、たとえ人知れず涙を流したとしても、最終的には「仕方ない」という結論になると思うんです。
そこで泣き叫んで切実に祈るという事にはならないような。。。
鳥が飛んでいく例は極端だとしても、日常の中でちょっと理不尽なことがあったとしても、敢えて訴えない。騒がない。
こんなことで訴えるなんて大人げないんじゃないか?と思ってしまって。
それで心の中はどんなに荒れていたとしても、自制して表面上は何事もなかったかのようにふるまう。これが大人のふるまい方だと。
こういう事ってよくあるんじゃないかと思うのです。
長所と短所は表裏一体です。
どんな性質でもどういう場面で出るかで良くも悪くもなります。
大人の対応によって良い方向になることもありますが、場合によっては祝福を逃すことにもなるのではないかな?と思いました。
今週は、神様が問題を解いてあげよう、とおっしゃっていますので、日ごろ何となく自制して目を瞑っていたことも切実に祈ってみるチャンスですね。
私もいつの間にか求めもせず諦めてしまっていることがないのか、自分自身を点検してみようと思いました。