ちょっと小耳に挟んだ興味深い話があります。知り合いのおばちゃんから聞いた話です。
それは仏教界のことなんですが、日本では大抵、家族が亡くなるとお寺で「戒名」というのをもらってお墓に刻んだりしますよね。
その戒名をもらうには結構費用が掛かるそうなんです。しかも、値段によって戒名の位が違っていたりとか。まさに「地獄の沙汰も金次第」というところでしょうか。(笑)
そういうことが今「おかしいのでは?」ということになって、ルターが宗教改革したように仏教も改革すべき、という声が一部で上がっているのだそうです。
ルターの宗教改革の時は、当時のローマ教皇が、免罪符を買わないと救われない、ということに異を唱えたわけですよね。聖書にはそんなことは書いてない!聖書に立ち帰れ!と
それでルターが聖書をドイツ語に翻訳したのです。一般人が聖書に何を書いてあるかわからないから騙されるのだと。
当時の聖職者が使っていた聖書は古代ラテン語という、当時すでに誰も使ってないような言語で書かれていました。だから一般人は聖書を読むことができなかったのです。だからみんなにも聖書が分かるようにとルターがドイツ語に訳しました。これはとても画期的な事でした!
ある意味聖職者の特権であり聖域だった「聖書」が一般人にも普及するようになったのです。こうなるともう聖職者が勝手なことはできません。
考えてみれば仏教の世界もそうだな~と思いました。仏教についての教理はわかりませんが、少なくとも人が亡くなった時にお金を払ってお経を読んでもらって戒名をもらう、という部分だけを見ると、確かに宗教改革前の腐敗したカトリックの状況と同じだな~と思ったんです。
誰か、お経の意味を聞いて分かる人いますか?普通は分かりませんよね。
私が以前学んだことによれば、今私達が聞いてるお経というのは、古代サンスクリット語が原典で、仏教が中国に入ってきたとき、当時の中国語に訳したもの、なんだそうです。
つまり、古代サンスクリット語の古代中国語訳を聞いてるわけです。これじゃ現代の日本人がわかるはずがありません。
よくお坊さんが体調悪い時などはお経を省略して唱えてしまったなんて話も聞いたことがありますが、聞いてる方は省略されても全部正式に読まれても全然わかりません。(笑)
こういう状態だと私達は何を要求されても反論の根拠がないから(わからないから)反論できません。
どういう世界でも、ちゃんと知らないと「なんか変だけど従うしかない」という状態になってしまいます。
改めて、「知ること」というのは大きいな~と思いました。
もっと言うと、聖書も今では日本語訳の聖書があるから読めますが、実際どんな意味なのかが分からないと読んでも救われません。分からないと行動が促されないからです。だから分かるようにしてくれる存在というのは本当にありがたい存在です。
私達に聖書を正確に教えてくれ、知らせてくれる方に感謝するばかりです💛