『全てのものは神様のものだ。サタンのものは一つもない。堕落しても腐敗しても神様のものだ。』
という昨日の説教の言葉がとても心に沁みました。
「そうか、堕落しても腐敗しても神様のものか。。。」と思った瞬間、(説教中にもかかわらず)私の頭に「洗濯物‼」という言葉が浮かびました。それで一層自分なりに「堕落しても腐敗しても神様のものだ」という意味を悟りました。
え?洗濯物?どういう意味?と思いますよね。(笑)今からそれを説明します。
一度着た衣服というのは洗濯物として区別しておきますよね?一度着て汚れたものを洗わずにそのままタンスに入れて綺麗なものと一緒にすることはありません。恐らく洗濯籠などに入れておくでしょう。または洗濯機に放り込むとか。
そうして洗濯物を洗って干して綺麗になったらまたタンスにしまいます。
この時、洗濯物として区別しておいたものも自分のものです。着て汚れたからといって他人のものになるわけじゃありません。
これと同じことかな~と思ったのです。
私達が罪を犯すと霊的には汚れてしまい、サタンの主管圏に入ってしまいます。暗闇の世界です。光の世界には居ることができません。区別されます。
でも、悔い改めて清くなったら神様の主管圏に戻ってくることができます。
汚れた洗濯物が他人のものになるわけじゃないように、暗闇に行ってしまった人がサタンのものになるわけじゃない、と悟ったのです。闇の世界にいても光の世界にいても、私達は神様のもの!確かにその通りだ!と。
ただ、洗濯物も時間が経つと汚れが落ちにくくなります。また、ひどい汚れほど早く洗った方が良いです。罪の悔い改めも同じです。早く悔い改めた方が良いです。
でも、ひどい汚れでも洗えばそれなりに綺麗になります。完全に元通りじゃなくても「汚れている」状態ではなくなります。だから時間が経ちすぎていると感じても悔い改めるに越したことはありません。悔い改めなければずっと汚れたままなので。
それともう一つ。霊界は完全に神様が治めていて、サタンがどうにかできるものではない、という事です。
もし、サタンがどうにかできるのならサタンが天国に侵入してくることができるでしょう。でも、神様の許可が下りないから入ってこれないのです。サタンも勝手に霊界を移動はできないという事です。つまり、サタンも神様に全て治められているのです。
だからサタンが偉そうに囁いても騙されてはいけません!!サタンがどうにかできるものなど一つもないのです!できるかのようにそれらしく言って騙しているだけです。
自分がどんな状態になっても「私は神様のものなのだ!」ということを忘れずに生きていきたいですね!
【参考】(エゼキエル33:10~11)
それゆえ、人の子よ、イスラエルの家に言え、あなたがたはこう言った、『われわれのとがと、罪はわれわれの上にある。われわれはその中にあって衰えはてる。どうして生きることができようか』と。あなたは彼らに言え、主なる神は言われる、わたしは生きている。わたしは悪人の死を喜ばない。むしろ悪人が、その道を離れて生きるのを喜ぶ。あなたがたは心を翻せ、心を翻してその悪しき道を離れよ。イスラエルの家よ、あなたはどうして死んでよかろうか。