ここ数か月、世の中では「年金制度崩壊」とか「45歳リストラ」「終身雇用制終了」などの事が騒がれていますよね。(若い方はご興味がないかもしれませんが)
ごく最近では、金融庁が年金では老後資金が2000万円足りないと発表。最初は麻生大臣がその報告書を支持するような発言をしたところ、批判が殺到。その後その報告書は受け取らないと言い、さらにその後金融庁も国民に陳謝。
簡単に言うとこんな流れなんですが。。。世の中ではこういう政府の対応に批判が出ています。
皆さんはどう思いますか?私はこれが現実だなと思ったんです。どういう現実かというと・・・人々の気に入らない真実を言うと批判される、という現実。
多分、「年金では2000万円足りない」というのはデータによって導かれた答え。だから金融庁が国民にあらかじめ対策を練っておいてほしいから報告書を発表したし、麻生さんも支持するような発言をしたと思うのです。ある意味親切な発表とも言えます。でも、それは多くの国民が気に入らない内容です。
年金だけで生きていけると思ってたのに。。。騙された!という事ですよね。それで大騒ぎ。
世の中が騒がしくなってしまったため、沈静化するために、報告書を受け取らないとか、陳謝するとか、そういうおかしなことをせざるを得なくなってしまったのだと思います。自分の首が危ないですからね。(^^;
ただ、元々国民年金だけでは生きていけませんでしたよ。厚生年金もないと難しいです。昔からそうでした。
今回は、厚生年金をプラスしても2000万円足りないと言っているので批判が殺到したわけですが、現実がそうならそう発表するしかないじゃないですか?
因みに、80代の私の父は年金だけで生きています。私が金銭的な援助する必要もありません。それは終身雇用制の時代だったし、人口の構成も違っていたから。父の世代は少子高齢化ではありませんでした。私はベビーブームの世代。今とは世の中の現状が違っていたということです。
だからと言って終身雇用の時代に戻りたいですか?一度就職したら定年までずっとその会社で生きていく制度が良いですか?家族より会社優先の企業戦士になりたいですか?そうじゃないでしょう。きっと、やめたくなったらやめ、もっと良い条件で働きたいと思ったら転職できるという縛られないスタイルの方が現代人には合ってると思うのです。
世の中が変化しているのだから、それに合わせて制度も変化するというのは普通の流れであっておかしくも何ともありません。
会社に縛られたくない、自由に生きたい、でも昭和前半世代級に年金は欲しい、というのは通らない理屈です。でもそれを通すのが政治でしょ?と言わんばかりに騒いでいるんですね。
本当のことを言うと批判され、最終的には陳謝せざるを得ないというおかしな現象が起きてます。
でも、これは信仰の世界においてもたびたび起こってきたことです。この騒動を傍目で見ながらこの聖句が思い浮かびました。
(テモテへの第二の手紙4:2~5) 『 御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい。 人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。しかし、あなたは、何事にも慎み、苦難を忍び、伝道者のわざをなし、自分の務を全うしなさい。 』
自分が気に入らないと受け入れず、作り話に逸れて行く、ということは2000年も前にもあったという事です。これが人間の本性ですよね。
教会の中でもこういうことが起こらないように注意しないといけません。真理が必ずしも人間の気に入ることではないからです。
躓かせてはいけないというのは日ごろの私達の言動のことであって、みことばを曲げることではありません。また、みことば通りに生きるのは難しいからしなくていいよと言ってあげることでもありません。
神様は何をしても怒らない、優しい、というのはウソです。聖書を見ればわかります。堕落したアダムはエデンを追放されました。ソドムの街は滅びました。北イスラエルではバビロン捕囚という悲劇が起こりました。例を挙げたらキリがありません。
でも、人々は何をしても怒らない神様を望んでいます。でも実際はそうじゃないから裁かれるのです。
私達は、耳ざわりが良いかどうかで判断せず、真理に基づいて考え、現実を見ながら祈って知恵をもらい、主と共に一番良い道を探っていくべきですね。