先日、夜にスーパーに行きました。夜10時くらいだったかな?
なぜその時間なのかということは今回は置いておいて。。(笑)
夜のスーパーってそんなに混んではいないんだけど、お惣菜の値下げ商品を目当てで来る人もいたり、夜遅くに帰ってきたサラリーマンやOLなどでそれなりに人はいるんですね。
しかも、昼間より開いてるレジが少ないため、瞬間的にレジが混んで行列している時があるんです。
私が行ったときもレジが二つしか開いてなくて5,6人くらいずつ人々が並んでいました。
その二つのレジが対照的だったのです。
一つのレジはレジ打ちの店員さんがとても丁寧な対応で(多分マニュアル通り)一人一人に頭を下げてきちんと挨拶をしてからレジを打ち始め一つ一つ丁寧に気を使いながら扱っていました。
その代わりちょっと遅い。。。丁寧なのは良いのだけれどね。
もう一つのレジは、若い女の子でしたが結構慣れてる感じで、元気に挨拶した後はわき目も振らずものすごいスピードでどんどん捌いていくんです。
だから処理も早く、列の進み具合も早かったです。
そのため、レジを並び替える人もチラホラ見受けられました。
この時、『親切』って何だろう??と考えました。
夜の遅い時間に買い物に来る人達は、仕事帰りに立ち寄って夜ご飯を買っていくような人や、夜ちょっと何かを思い出してパッと買いたい人が多いんですよね。
だからみんなサッサと家に帰りたいんじゃないかと思うんです。
丁寧な対応は間違ってるという事ではありません。でも、明らかに列に並んでる人の様子は、隣の早い列をチラ見しながらソワソワしているように見受けられました。
「お客様には一人一人丁寧に。失礼がないように。。」
こういうことが頭にこびりついているのか、間違ってはいけないという思いが強いのか。。。
とにかく丁寧な方のレジ打ちの人はどんなに列が並んでも丁寧さとスピードは一向に変わりませんでした。
でも、私もそうでしたが、お客さんはバカ丁寧にあいさつしてほしいわけでもないし、必要以上に袋詰めなどを代わりにしてほしいわけでもないと思うんですね。
パッと買ってサッサと家に帰りたいのです。
だからこの場合、お客さんのニーズに合っていたのはスピード処理してくれるレジだったと思います。それは列のお客さんの様子からも明らかでした。
親切も『○○することが親切』というように固定化してしまうと落とし穴に陥ります。
特に、親切や正義に関しては『○○することが素晴らしい』と固定化すると、逆にそうしない人が悪人であるかのような雰囲気になってしまいがちです。
実際、こういう事が世の中のあちこちで起こっているような気がしますし、教会の中でもそういう事がないか、点検してみないといけないんじゃないかな~と思いました。
基本はマニュアルで覚えるとしても、その場その場で臨機応変に最善の対応ができること、それが本当の実力者だし、親切な人だと思うんですね。
伝道するときも、新入生に、あれとこれを聞いて、この状況を確認して…こういう人にはこういう対応して・・・という風に固定化してしまうと多分うまくいかないと思います。
うまくいく人もいるかもしれないけど全てがうまくいくわけじゃないです。
今一度、どうすることが天に対して、人に対して親切な事なのか、また有益な事なのか、考えてみる余地がありそうですね。