私の父は、現在グループホームに入居しています。
その施設から毎月父の様子や使った薬・費用等の報告、連絡事項、郵便物がまとめて送られてきます。
先日、10月分のものが送られてきたのですが、その中に、父の介護認定書があり、今まで要介護2だったのが、要介護3になりました。
「要介護〇」とは介護の段階を示すもので、1~5まであり、5が一番重篤になります。
私の父は介護の段階が2→3になったので、ちょっと進んじゃったわけですね。
夏に、歩行器が必要になったという話を聞いていたので、多分そうなるだろうと予想はしていましたから驚きはしませんでしたが、父に対する漠然とした不安は以前より増してきました。
変な言い方ですが、父がいつまで生きているのかわからないし、介護の段階が上がるほど日常的なリスクが高まるし、どうなるのかな。。と。
日常的なリスクが高まるというのは、例えば、もう歩行器が必要な状態なわけですから、ちょっと施設内で転んだりしたら骨折で即入院なんてことは容易に考えられることです。
そうしたらどうなるのかな。。今はコロナで面会できないけど、たぶんそれでも入院費の支払いには私が行かないといけないだろうな。。その場合は面会できず支払いのためだけに福島に行くことになるのかな。。入院したら施設の人は面会できるのかな。。できないんだったらもっと認知症が進んでしまうだろうな。。等々。
こういった、いろんな仮定や憶測が浮かんでくるんです。
いつまでにこうなる、という計画を立てられるものではないので全てが漠然としていて、お祈りするしか方法はありません。
現在のこういう状況を考えた時、私が20代・30代の時に実家のことを放ったらかして牧会に明け暮れていられたのは、両親が健康で家の問題を考えずに済んだからなんだな、ということを改めて実感しました。
両親は伝道されてませんので、直接的に私を援助してくれたとか、応援してくれたとかはありませんし、逆に迫害もなかったんですが、このように良くも悪くも「普通」の状態が実は大きな祝福だったのだと今更ながら感謝しました。
多分、今の私のような状態は特殊事例ではなく、40代、50代になったら多くの人が直面する問題だと思うのです。
そう考えると、やっぱり思いっきり心置きなく走れるのは20代・30代のうちだったのかな。。と思いました。
当時は自分が元気で生きているうちは全て心置きなく走れる期間だと思ってたんですけどね。(^^;
こればかりは経験しないと分かりません。
人生のステージによって直面する問題は変わりますね。
とにかく、親が元気でいる、親の心配をしなくてよい、ということ自体が大きな祝福なんだという事を改めて悟りました。
そう考えると、私の牧会期間中、神様がずっと大きな祝福を下さっていたことになります。
なにか特別なことをしてもらう事ばかりが祝福ではありませんね。
まだ未熟だったにもかかわらず若い時に重職を任せてくださり、その期間余計な心配をせずに思いっきり走れるようにしてくださった神様に感謝するばかりです💛