学童の子どもたちを見ていると、素直さと愛嬌のある子はお得だな~と思う事がよくあります。
単純に、何かしてあげるとすぐに喜んで「ありがとう!」という子や、ちょっと注意するとすぐに「ごめんなさい」という子は可愛いなと思います。
しかも、そういう子は大抵いつもニコニコしていて愛嬌があるので、何かいたずらとかしても憎めないんですよね~。
もちろん、許容範囲を超えたいたずらは注意しますよ。
注意すればそういう子は素直に「ごめんなさい」と言って一瞬しょぼんとしますが、すぐに戻ります。
そのような姿も可愛いんですよね~。
裏の話ですが、そういう子は先生方の間でも人気があって、「○○ちゃん(君)は本当に可愛いよね~」という声をよく聞きます。
まさしく、大人たちから愛されるタイプですね。
言うまでもなく、ここでいう「可愛い」は外見のことを言ってるのではありませんよ。
性格の話。
イケメン系や美人系の子でも態度が悪い子は可愛いと思えませんし、いくら子供でも関わりたくないなと思ってしまいます。(すみません、実際にそういう子います。もちろん表向きは普通に接しますよ。)
自分自身のこのような現状を見ながら、きっと神様の私たち人間に対する思いもそうなんだろうな~と思いました。
説教の壇上から「感謝」「悔い改め」などの言葉を聞くと、何となく神様に対して無礼のない「きちんとした感謝」とか「心からの悔い改め」などちょっと構えて考えたりしませんか?
感謝の仕方、悔い改めの仕方で戸惑ってしまい、結局何もしないまま時間ばかりが過ぎていく。。。
それで「私はきちんと感謝出来ない」とか「悔い改められない」などと悩んだり。。
でも、本当はもっと単純なことなんじゃないかな?と思うのです。
他人に対して素直に「ありがとう」「ごめんなさい」を言うのが人としての道理であるように、神様に対してもそういう事なんじゃないのかな?と。
いつもニコニコしてる人は好感が持てるように、神様もそうなんじゃないかな?と。
結局、素直で愛嬌のある子が大人たちから愛されるタイプのように、素直で愛嬌のある人間が天から愛されるタイプなんだろうな~と思いました。
あまり複雑に考えすぎず、シンプルに考えてみたらむしろ当然のことですね。
でも逆に、それが難しい人が多い現代だからこそ、素直さと愛嬌は武器になるんじゃないかとも思いました。
単純なことだけど、素直さと愛嬌は自分の身から手放さないようにしたいものですね。