今週は「忘れずに愛していきなさい」というメッセージでした。
神様の愛も何もかもあるのが当たり前になると価値を忘れてしまいがちですが、失った時に本当に身に沁みます。
特に私は健康を害したばかりだったので、健康に関する話は刺さりました。(^^;
私は過去何回かこのブログでもお話ししましたが、元々ものすごく健康体だったんです。
病気とは全く無縁で小学生の時から高校卒業まで病気を理由に学校を休んだことが一度もありませんでした。
実は、小1の時、インフルエンザの流行で学級閉鎖になったことがあったのですが、その時でさえ私はインフルエンザにもかからずピンピンしていました。
恐らく、神様から健康の賜物を頂いていたと思いますし、母も料理好きでおやつも作ってくれるような人だったので子供のころから冷凍食品やスナック菓子などはほとんど食べてなかったと思います。
そしてまた、私の性格が基本的に能天気気味でしたのであまり心配したり悩んだりするタイプじゃなかったのも健康に良かったのかもしれません。
なので、私自身の努力ってほとんどないんですよ。何もしなくても普通に健康だったのです。
年を取ってきたらそれなりにすぐに疲れるとか、ストレスが溜まるとか、身体のあちこちが痛くなるとか若い頃のようにはいかなくなりましたけど、それでもウィルスや菌には強いという謎の自負心がありました。(笑)
その私が先日何らかの細菌に感染して4日間(正確には3日半)高熱と腹痛で寝込んでしまったのです。
私の中では一大事でした。どう考えてもこれまでの人生でそんなに熱を出して寝込んだ記憶がなかったからです。
それが先々週の出来事でした。
その後何とか回復して迎えた主日の御言葉が啓示に関する話でした。(先週の主日のメッセージ)
それで、やっぱり私が病気になったのは啓示、というより神様の警告だったのだなと思いました。
何か特別に重篤な罪を犯したという自覚はないですが、いろいろなことが当たり前になってしまっていて、このコロナ体制で気が緩んでいたのは否めません。
日々のルーティーンをこなすだけの過ごし方になっていたなと。
それと、なんとなく無感情になっていたなとも思いました。
人と会っていないせいか、声を出して笑ったり大喜びしたり大感激したりなどの事が最近なかったなと。
だから、アップダウンはしないけれど、感情が直線的で何もない感じ。ダウンしないのは悪くないけれど、アップもしないので結果的には良くないです。
そして何よりも、私は今、指導者としては何もしていないに等しいなと思いました。
先週、自分を振り返りながらこのような事を自覚し、悔い改めて今何か出来ることはないかと考えて始めたのがメール相談でした。
これは私自身のためにも本当にやって良かったです!
単純に、誰かの役に立てたという喜びもありますし、いくつかお礼メールもいただいたのですが、それを読んで久しぶりに指導者としての遣り甲斐を感じることができ、嬉しくなって神様に感謝しました!
そういう中で今週の御言葉が宣布されたので私にとっては本当にタイムリーでした。
私はもう摂理歴が29年を過ぎ、30年目に突入しているので人生の半分以上は摂理だし、指導者歴も25年以上だし、全てが当たり前になってしまっていて価値性を自覚できなくなっていたのだなと改めて痛感しました。
健康も、今いる位置も当たり前ではありません。たとえ自分が何もしていなくても、神様が維持してくださっているのです。
それをしみじみと感じる今週の説教でした。
全てを失ってから気付くのでは遅いです。
生きてるうちに痛い目に遭わせて警告してくれるのはある意味とても親切なことだと思います。
でも、(神様によって)痛い目に遭わされない生き方がもっと良いですよね。
今週、全体に向けてメッセージが宣布されましたから、皆さんは私のように痛い目に遭わないように(^^;、日々感謝して自分を自ら活性化させて過ごしてくださいね。
主の祝福が皆さんの上にありますように。。💛