元気になってから気付いたことがあります。
数日間寝込んでいた間、ほとんどゴミが出なかったんです。
ゴミの日に捨てるものがほとんどなくて。(^^;
活動しないとゴミが出ないんですね。
逆に、ゴミが出るという事はそれなりに活動しているという事なんだなと思いました。
それでこの聖句が思い浮かびました。
『牛がなければ穀物はない、牛の力によって農作物は多くなる。』(箴言14:4)
これは口語訳ですが、この聖句に関しては新共同訳だともっとわかりやすいのでそちらも載せますね。
『牛がいなければ飼い葉桶は清潔だが、豊作をもたらすのは牛の力。』
これです。
牛がいなければ飼い葉桶は清潔で掃除する必要もないし、牛の世話する必要もないのでラクですが、牛がいなければ農作業が大変で豊作にすることはできないという事です。
だから、掃除や世話が大変でも牛が必要なわけです。牛によって得るものの方が大きいから。
実際、家畜の世話とかゴミ捨てとかって面倒ですよね?
面倒さを回避したければ全てをなくすとかやめるとかしなければいけません。
そうすると得るものがなくなります。
ゴミを出したくなければずっと食べずに何もせず寝たきりでいるしかありません。
でも、そんな人生嫌ですよね?
数日間ほとんどゴミを出さなかった時の自分の状況を思うと、ゴミの日に出すゴミがある事にも感謝すべきだな~と思いました。
それなりに活動していたという事だから。
面倒な作業があるのは自分が活動している証拠です。
健康な体でどこにも痛みがなく、普通に活動できるということ自体が本当に祝福ですね💛