昨日、寒くて近所の銭湯に行きました。
今住んでいる家は単身者用の住居で3点ユニットバス(トイレ・洗面・お風呂が同室)なので基本的にはシャワーしかできないんです。
だから冬はちょっとお風呂が恋しくなります。
歳のせいか、やっぱりお風呂に入れる家に住みたいな。。。なんて思う今日この頃。
それでも家から徒歩3分のところに銭湯があるからまだ恵まれてますね。
それで、銭湯に行って、湯船につかって、やっぱりお湯につかると温まるな~なんて思いながらボーっとしていたら、急に見知らぬおばあちゃんに声をかけられました。
「若いっていいね~」と。(^^;
あ。。私、若くないんですけど。。。と思いつつも、おばあちゃんから見たら若いから一々つっこまなくてもいいか。。などと考えを巡らせていたら、おばあちゃんが少しずつ静かに自分からしゃべりだしました。
そのおばあちゃんも近所に住んでいるらしく、基本的には毎日銭湯に来てるようでした。
自分の家にもお風呂があるけれど、子供はいなくて旦那さんには先立たれて完全に独り身だから、ずっと家にいると気が滅入っちゃうのだそうです。
それで、毎日夜に銭湯に行く、という事を日課にしているようでした。
若い人を見るだけでも元気が出ると言ってました。
私はちょっと複雑な気分になりながらも「そうなんですね~」なんて返事しながら少しの間湯船につかったまま他愛もないおしゃべりを楽しみました。
銭湯からの帰り道、外はとても寒かったはずですが、お風呂に浸かったからとても身体がポカポカ。
それと同時に、なんだかとても楽しい気分になっていて心もポカポカしていることに気付きました。
よく考えてみたら、私自身も人とまともにおしゃべりを楽しんだのが久しぶりだったかも。(^^;
電話やzoomでの会話はありましたよ。その他、レジの人に「袋ください」とか「袋はいりません」などの会話(?)くらいはしてましたけどね。
でも、人と直接会ってどうでもいい話をするのがとても久しぶりでした。
それで、改めて人に会っておしゃべりできることが恵みなんだな、と思いました。
子供のころからおしゃべり好きだった私としては、明らかに今が人生の中で一番無口なんです。無口っていう単語は私には全く縁がない単語だったんですけど。。
正直、おばあちゃんとの会話の内容は、意味深いわけでもなく、ましてや救いとは全く関係なかったんですが、そんなどうでもいいおしゃべりまで恵みを感じるくらい、今は人との触れ合いが途切れているのだなと思いました。
コロナでおしゃべりや人と触れ合う事を奪われたんだなと。
奪われたという言い方だと聞こえが悪いですね。言い換えると、失って価値を再認識するようになったということです。
個人主義が行き過ぎて人間同士を軽視し過ぎていたのかもしれませんね。
今回は神様が見知らぬおばあちゃんを通して人と触れ合うチャンスと恵みを与えてくれたのだと思います。
特に何か大きなことをしたわけでなくても、とるに足りないように感じたとしても、どんな人でも一人一人が神様の使者として価値ある存在なんだなと改めて感じた夜でした。