マスク生活がもう1年以上続いてますよね?
最初は一時的だと思ったけれど、蓋を開けてみたら結構な長期間になってます。
アメリカではワクチン接種が始まってから、ノーマスクで経済活動本格開始の州も出てるみたいなんですけどね。
日本でもワクチン接種が始まってますけど日本人は用心深いですからもうしばらく続きそうな気がしています。
元々私はマスクが嫌いで一刻も早く外したかった派です。
正直、今も好きではありません。
でも、ずっとマスク生活で顔を覆い隠す生活をしていたじゃないですか。
期間が長くなると、当然マスク生活に入ってから知り合う人も出てくるわけです。
そうしたら、何となくそういう人の前でマスクを外すのがためらわれるというか、外して顔を見られるのがちょっと嫌だな、というようなよく分からない感情が湧いてくるようになりました。
実際はマスクを堂々と外す場面というのはあまりないですけど。
でも水を飲んだりなどのちょっとした瞬間にマスクを外すじゃないですか。
そういう時、なぜか大急ぎでマスクを元に戻してしまう自分がいるんですね。
ウィルス感染を警戒してではなく、顔を見られるのが嫌だなという感情によって。
勿論、マスクの下には秘密がある⁈というわけじゃないですよ(^^;
見られたらマズイという理由なんてありません。
マスク期間中に顔が大幅に変化した、という事もありません。(^^;
でもなぜかわからないけど嫌なのです。
マスク生活以前では初対面の人でも最初から顔を見られるのが当然だったのに、なんだか不思議ですよね。
たった一年でこういう風に心理状態が変わってしまうなんて。
それで何となく思ったこと。
人って何かを覆い隠していると、特に悪いわけでも何でもないのにオープンにするのがためらわれるようになるのだな、という事。
考えてみたら、何となく言わずにいたことが言いにくくなったりすることってないですか?
特に理由はないけど言う場面がないから言わなかっただけなのに、今となっては何となく言いにくくなってしまったというような事。
きっと隠している間にそれが普通になってしまって、自分の中では無意識のうちに「隠しておくべきもの」に分類されてしまったのかもしれません。
それで。。。多分、信仰や真理もそういう事じゃないかな?と思ったんです。
悪いわけでも何でもないのに、隠しているうちに自分の心理的要因によってオープンにできなくなってしまうということ。
ということは、隠す期間が長引けば長引くほどオープンにしにくくなってしまうのではないかな?と思いました。
勿論、これは状況にもよりますから知恵が必要ですが、自分の心理状態を中心に考えたら、ある程度早い段階で覆いを外した方が「覆いを外す」というハードルは下がるのかな?と。
はかりごとも通用しすぎると後で辻褄を合わせるのが大変になりますからね。(^^;
私はそれが嫌だったので牧会していたころからわりとオープンにしていたように思いますが。。
どんな類のものだとしても、今隠し事がある場合、必要があって隠しているのか、ただの自分の心理的要因なのか、吟味する必要があるように思います。
心理的要因ならば、早い段階で振り切った方がストレスフリーで過ごせるんじゃないのかな?
そんなことを考えた今日この頃です。