「機会をつかむ!」「時を逃さない!」などの言葉を聞くと、自分が幸運をつかむことや新しい世界に入っていくことなどを考えると思います。実際、そういう場合が多いです。
ただ、そうじゃないことに関しても時を逃さないことは重要です。特に危機管理。もっというと、サタンの攻撃に対しては一瞬の時を逃さないことが本当に重要です。
私達信仰者が犯しがちなミスは、なんでも良く考えてしまうことです。
勿論、基本的にはそれで良いんですよ。でも、「何事も良く考えないといけない」「否定的な見方は神様が喜ばない」という考えの元、なんでも見境なく良い方に考え、良い人になり過ぎていると、場合によっては自ら苦境に入っていく羽目に陥ります。だから注意が必要です。
というのも、サタンは油断させ、一瞬のスキを突いてくるからです。
メンバーや新入生に対しても、また環境的な状況に対しても、ちょっとした変化に気付かないといけないですし、なにか「あれ?」と思ったら「気のせい」にしないで、「疑ってはいけない」と言い聞かせないで、一応確認することが大事です。
基本的には神様がおっしゃったこと、みことばに出ている事に関してはどんなに良くない状況でも良く考えて行なわないといけません。
でも、人や状況がみことばから外れているように感じた時は、確認、場合によっては即行動が必要だという事です。
でもいきなり明らかに御言葉から外れるようなことはないんですよね。水漏れのようにちょっとずつなんです。これがサタンの手法ですから。だから早期発見が難しいのです。
また、即行動が必要な時は責任が伴うので大胆にできない心理が働き、手遅れになる事もあります。「でも、、、でも、、」と戸惑って躊躇しているうちに状況が悪化することがあるのです。
2006年の迫害の時は特にそうでした。全国的におかしな報道がなされ、例外なくどの教会も危機になりましたが、そのとき戸惑いながらもただ信じて何もしなかったところは正直壊滅状態でした。
当時牧会者だった私は大胆に善悪分立を行いました。新入生たちにこちらから先に状況を話して続けてみことばを聞くかどうかを自分で決めてもらったのです。
そうしたら、当時30人くらい聖書の勉強をしていた人がいましたが、そのうち10人は辞めますと言って来なくなり、20人は残りました。来なくなった10人は元々そんなに熱心に聞いてなかった人たちだったので結果的にはうまく分けられた状態になりました。
この時、うわさが広がる前に早く「こちらから先に話す」という事が重要だと考えました。というのは、第三者から話を聞いてしまった後ではいくらこちらが話しても言い訳にしか聞こえないだろうと考えたからです。
今振り返っても、あの時しかチャンスはなかったなと思います。その翌日から報道が大変なことになりましたから。
当時の幹事たちは正直大変だったと思いますが、それでも私の突拍子もない指令通りに頑張ってくれて本当によくやってくれたと思います💛
これだけじゃなくて、当時もっとたくさん私独自にサタンを追い払う作戦を実行しましたが、全部書くと長くなるのでこれくらいにしておきます。(笑)
私がこういうことができたのは、日ごろからサタン撃退について作戦を練っていたからです。とは言っても、最初からこのような大きな艱難に備えていたのではなく、日ごろメンバーの管理をしながら常にサタン対策を練っていたという事です。それを拡大して実行しただけです。
また、以前にも書きましたが、その前に大きな迫害で何もできなかった悔しい経験があって今回は挽回しようという心理が働いたことも大きかったです。
祝福をつかむ機会も、危機を回避する機会も、どちらも平素からの行いや意識がとても重要なんですよね。
走る人だけが機会をつかむ、とおっしゃいましたが、本当にその通りです。
どんな機会も逃さず、祝福はつかみ、危機は回避していきたいですね。
【追伸】
祝福の機会をつかむことに関して約一か月前に書いた記事があるのでよかったら参考にしてください。
「願い求めたものをちゃんと受け取るには?」
https://pastor.tokyo/single-word/negaimotometamonowouketoruniha%EF%BC%9F%EF%BC%9F/