少し前の話になりますが、読んでる途中で読むのをやめた本があります。今週の御言葉を聞いてそのことを思い出しました。
それは、スピリチュアリストを名乗る某有名人が、聖書の言葉を引用して人々の悩みを解決する、という本でした。
有名人が聖書を読んでいる、しかもその言葉を使って悩みを解決している、というところに興味が湧いて読んでみたんです。
読んでみると。。。全てを否定するつもりはありませんよ。言ってる内容自体は良いこともあるんです。ただ、それを話すために引用している聖句がちょっと。。。
私から見ると、その聖句はそういう意味じゃないんですけど。。。と言いたくなるわけです。
ただ、表面的に読むとそういう感じに受け取るのかな~とも思いました。
また何よりも引っかかったのが、イエス様を「スピリチュアリスト」だったと言っているところですね。もしかして自分と同じと思ってる?と。ちょっと腹が立ちますよね。
イエス様をスピリチュアリストとすると、確かに日本人的には親近感が湧くかもしれません。スピリチュアリストの言葉だと考えると聖書の言葉を身近に感じるかもしれません。でも違うものは違います。それも雲泥の差で違います。
私が聖書を本当に身近に感じるようになったのは、自分自身が主と共に歴史を一生懸命走ったからです。
自分自身が聖書に出てくるような場面に直面し、体験をしたからです。だから聖書の言葉がリアルな体験となり、身近になり、それは確かに神様の言葉だと悟ったのです。
聖書の言葉はスピリチュアリストの言葉ではありません。スピリチュアリストは人間ですからその言葉は人間の言葉です。
しかし聖書は神様の言葉です。啓示の言葉です。また、神様の御心を成そうと生きてきた人たちの証です。
聖句を部分的に取り上げて自分の悩み解決のための意味付けをするのではなく、御言葉通りに生きたらその意味が悟られるのです。
聖書は悩みを解決するという側面も勿論ありますが、根本的には救いの言葉です。良い言葉、良い話でもあるけれど、根本的には霊魂を救うための言葉、神様の愛のメッセージだという事を忘れてはいけません。
先生は誰よりも、聖書を実践してきた方です。だから先生の話は神様の話だけれど、ほぼ体験談です。だからリアルです。
また逆に、先生を見ていると、イエス様の当時の事も理解出来るという事もあります。きっと当時もこうだったんだろうな、と。
有名人が聖書を使って本を出すという事は、聖書を広めるという点では良いのかもしれませんが、ちょっと複雑な気分になりました。この本を読むことで初めて聖書に触れる人もいるだろうに、と。
だからこそ、私達がもっと証し、発信するという事が必要なんだな~と思いました。
誰も体験談を否定できる人はいません。私たち自身が御言葉を実践し、その体験を語るなら、感情的に受け入れられないという人はいるかもしれませんが、頭ごなしに否定することはできません。
ハッキリわかってハッキリ証していきたいですね。
