昨日に引き続き「霊的なお祈り会」のお話をしようとおもいます。
霊的なお祈り会では「信仰の武器」を見ることが何回かありました。
私が初めて体験した時は、宣教師が霊の使命者に、その場にいる人たち全体を見ながら「みんなどんな武器を持っているかを見てみて」と指示をしました。
その使命者は『ある人は日本刀のような刀を持っているし、ある人はピストルを持ってるし、大砲を持っている人もいます。』と答えました。そこで宣教者が「大砲を持ってるのは誰?」と聞いたら、その使命者が一瞬クスッと笑ってから私の名前を言ったんです。そうしたらなぜか会場全体が笑いに包まれてしまいました。(笑)なんか、ちょっと恥ずかしかったです。
後で聞いたら、私が大砲をひもで引っ張って歩いていたそうなのですが、一生懸命引っ張ってるというより、ひもを肩にかけてルンルンしながら歩いていたそうなのです。その姿がおかしくて笑ってしまったと。
その時私はまだ修了して数か月くらいで講師デビューもしていなかったんですが、伝道はすでに何人かしていたという時でした。
だから、みことばの武器というのは、正式な講義じゃなくても伝道で御言葉使っていろいろしゃべっていると持てるみたいです。
武器については面白いものがたくさんありましたよ。たとえば、ある人はジャガイモの皮むき器だったんです。当然みんな、え?何それ?と思いつつ大笑い。でも、解説を聞いてみたら、その人はジャガイモの皮むき器で一枚一枚皮をむくように、人の心の固い所を少しずつ少しずつはがすような力があるという事だったんです。実際その武器の持ち主は信仰深くて穏やかな人でした。
ある人は水鉄砲だったのですが、ただの水鉄砲じゃなくて水の中に唐辛子が入っているんだそうです!(笑)その武器の持ち主はものすごく生存能力抜群の人で、何もなくても何とかする、ただでは終わらせないぞ、というタイプ。何だか妙に納得してしまいました。
こうしてみてみると、武器もただ強いか弱いかというだけじゃなくて、個性が出るんですね。
また、日本刀のような立派な刀を持っている人がいたのですが、日本刀というのは片方だけに刃がついてますよね?その武器も立派で良いのですが、より理想を言うなら御言葉の武器としては両刃の剣が良いようです。両刃の剣は霊も肉も裂いて問題解決できるという意味です。
それと、当時私がある先輩から言われたことは、大砲を持っていることは素晴らしい。だけど、ナイフも持てるようにしたら良いかも、という事でした。大砲のようにドーンという感じの破壊力のある言葉の力も必要だけど、細かいナイフのような言葉の力もあると良いと。
なので、武器というのは一種類じゃなくて、よりどりみどりあれこれ揃えられると良いんだな、とその時思いました。
つまり、いろんな場面で武器を使ってみると良いのだと思います。実際、個人に話すのと数人を前にして話すのと大衆を前にして話すのとでは全て話し方が違いますよね?
武器を揃えるにはどうしたら良いか?それは使うしかありません。ですからいろんな場面で話すことにトライすると良いと思いますよ! そうやって大きな威力のある武器から小回りの利く小さなものまで揃えられるのだと思います。
そして、もらった武器は使い続けることが大事です。刀も使わないと錆びてしまうように、言葉も使わないと威力がなくなってしまいます。
いろんな場面で積極的に御言葉を使って話しながら様々な武器を揃えられたら良いですね。