『求めよ、そうすれば与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば開けてもらえるであろう。すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者は開けてもらえるからである。』(マタイ7:7~8)
これはおなじみの聖句ですが、昨日は私も初めて聞いた解説でした!この短い聖句を3つに裂いて細かく教えてくださいましたね。本当にびっくりです!やはり聖書の解釈では先生の右に出る者はいませんね!さてその3つとは、
- ないものを求めなさい
- どこかにあるけど得てないものは探して見つけなさい
- 閉ざされているものは叩いて開けてもらいなさい
ということでした。
今まではこの聖句全体を漠然と『求めること』という風に一緒くたに認識していましたが、自分の足りないものが3つのうちの何に該当するのか、しっかり見分けることが必要だったのですね。
そしてそれぞれのコツまで教えてくださいました。
①ないものを求める時は、根気強く、しがみついて得られるまで求めた時、ふさわしければくださる、とおっしゃいました。また、神様への愛のコネだったら通じるし、悔い改めながら求めるのがコツだとも教えてくださいました。
さらに、得たものは貴重に大切に使いなさい、ともおっしゃいました。
②捜すときは、隠されている宝を探すように、くまなく隅々まで探しなさいとおっしゃいました。
そして魂が行って捜すと大体見つけられると。これは正直私には少々高度ですが(^^;。でも頑張ってみようかな。。。
③個人的には門をたたくことに関する解説が大きな驚きであり大発見でした!
門は塞がっているもの。うまくいっていたのにうまくいかなくなったのは塞いでいるものがあるから。そういう時は門をたたきなさい、と。
門は主。キリスト。その門をこぶしで荒々しく叩く必要はなく軽くノックすればよい、と。つまり、愛の声で主に話しなさい、という事ですね。
だれでも最初から最後まで順風満帆で行く人などいないと思います。うまくいっていたことが途中でうまくいかなくなった時、「なぜ?」という疑問ばかりが最初は浮かんできますが、それは自分の前に門があるということだったのですね。
そういう時には祈って主に告げて、門を開けてもらえるようにするか、または裏門を開けてもらって別ルートをたどるかなど、とにかく門を叩いて自分が前に進めるようにしないといけません。
どうやって門を開けてもらえるかのかはいろいろあるんじゃないかと思います。自分の間違いを悟ることもあるだろうし、次元を上げるべき時になったのかもしれないし、そのままだと危険だから敢えて迂回するようにしているのかもしれないし。。。
とにかく自分でぐちゃぐちゃ考えて躓いていないで、主の門を叩いて打破しないといけないですね。
今週、自分の問題を解決するには何をすればよいのか?求めるべきなのか、捜すべきなのか、または門をたたくべきなのか。問題も3つに裂いてそれぞれふさわしい方法で解決し、前進していきたいですね!