聖書

残念な人

投稿日:

聖書を見ると、それが神様の御心だったのに、祝福が予定されていたのに結果的にはダメになってしまった人が存在します。

その中でも私が個人的に心から残念だと思う人が、北イスラエルの初代王ヤラベアム。

イスラエル王国はソロモン王の後南北に分裂し、北イスラエルと南ユダに分かれましたが、その時の北の方の初代王がヤラベアムでした。

彼が王になった経緯は物凄くカッコいいんですよ!

ヤラベアムは元々ソロモン王の家来で、非常に手腕のある人であり、よく働く若者だったと聖書に記されています。(列王紀上11:28)

当時ソロモン王は偶像崇拝に走ってしまい、神様が心を痛めていました。そんな時にこのヤラベアムが神様に抜擢されたのです。

彼は預言者アヒヤを通して神様の計画(御心)を知ることになります。

彼はアヒヤから、王国が分裂すること、そして分裂した後イスラエルの12部族のうち10部族をヤラベアムが任されることを告げられたのです。

さらに、「あなたがダビデのように歩むなら私はあなたと共にいてイスラエルを堅固にする」という祝福まで受けました。(列王紀上11:38)

これはまだソロモンの存命中に受けた預言でした。

ソロモン王の死後、預言通り北イスラエルはヤラベアムが王となりました。一方、南はレハベアムが王となりました。

レハベアムはソロモンの息子の一人です。このレハベアムはイスラエル12部族のうち、ユダとベニヤミンの二つだけを治めることになりました。

これだけを見ても分かる通り、神様はソロモンの直系子孫よりヤラベアムの方に多くの民を任せたのです。それくらいヤラベアムは神様から信頼を得ていたとも言えます。

ところが、ヤラベアムはまもなく自分勝手なことをし始めます。それは不安感が原因でした。

自分はレハベアムのようにダビデの家の直系子孫ではない、だからいずれみんなレハベアムになびいてしまうのではないか、という不安です。

しかも、聖殿のあるエルサレムはユダの地域です。だからみんなが礼拝するたびにエルサレムに行ってしまったら、きっと心が変わるに違いないと妄想が膨らんでしまったのです。

そこでヤラベアムはみんながエルサレムに行かなくて済むように、金の子牛を二つ造り、それを二か所に分けておいてそこで礼拝するようにしてしまいました。

さらに、勝手に祭司や祭りの日を独自に決めてしまい、それを行うようにしました。

これは当然罪になりました。

ヤラベアムはこれを発端としてその他にも神様の目には罪となる事を行い、終いにはこう言われてしまいました。

『行ってヤラベアムに言いなさい、『イスラエルの神、主はこう仰せられる、「わたしはあなたを民のうちからあげ、わたしの民イスラエルの上に立てて君とし、 国をダビデの家から裂き離して、それをあなたに与えたのに、あなたはわたしのしもべダビデが、わたしの命令を守って一心にわたしに従い、ただわたしの目にかなった事のみを行ったようにではなく、 あなたよりも先にいたすべての者にまさって悪をなし、行って自分のために他の神々と鋳た像を造り、わたしを怒らせ、わたしをうしろに捨て去った。 それゆえ、見よ、わたしはヤラベアムの家に災を下し、ヤラベアムに属する男は、イスラエルについて、つながれた者も、自由な者もことごとく断ち、人があくたを残りなく焼きつくすように、ヤラベアムの家を全く断ち滅ぼすであろう。』(列王紀上14:7~10)

これを告げたのは預言者アヒヤです。ヤラベアムに祝福の知らせを告げたのもアヒヤでした。恐らく神様からヤラベアムにこれを告げるように命じられたアヒヤも辛かったでしょうね。

神様の心情も察するに余りあります。せっかくあなたを立ててあげたのに。。。祝福を与えたのに。。。なのに私を捨て去った。。。と。

結局、ヤラベアムはどうなったのか。。。

一言で言うと戦死しました。ヤラベアムとレハベアムの間ではしょっちゅう戦争をしていたのです。(歴代志下12:15)

つまり、同じ民族同士で戦争していたわけです。

レハベアムの死後、南ではレハベアムの息子アビヤが王となりましたが、アビヤとヤラベアムの間でも戦争は続きました。そのアビヤとの戦争中にヤラベアムは死んだのです。

聖書にはあっさりと「主に撃たれて死んだ」とだけ記されています。(歴代志下13:20)

とても残念だと思いませんか?

恐らく、ヤラベアムはとても優秀で実力者だったのだと思います。手腕のある人でソロモン支配下での強制労働の監督を任されていた人でしたから。

それに神様が抜擢するくらいですから元々は信仰深かったのだと思います。

しかし、不安感から自分の考えた自己防衛策をしてしまい、神様の道を外れてしまいました。

これを見ると、神様に反発心が湧いたとか、そういう事ではないんですよね。

神様がどうこうじゃなくて、自分自身の問題が大きくなってしまって保身に走ってしまったという感じです。

直接的に神様に対して反抗的な考えがなくても、自分を中心に考えるとそうなってしまうんですね。

神様が『あなたを祝福する』とおっしゃった言葉を信じきれなかったとも言えます。

だから、自分の考えに陥るって本当に怖いなと思います。

時々、あの人は先生が褒めてた人なのにどうして今いないのか?などの疑問を持つ人がいます。

私も内情は分かりません。

ただ、聖書を見ると、本当は神様に選ばれたのに責任分担によってそうではなくなった人の事が記されていますから、私達は聖書を読んで教訓にしないといけないなという事です。

自分に対する御心、自分に予定されていた祝福を自ら手放してしまうことがないようにしたいですね。

-聖書
-, , , , , ,

執筆者:


コメントを残す

関連記事

いつも喜び、祈り、感謝する信仰

今週の聖書の本文であるテサロニケⅠ5:16~18の御言葉は私も個人的にとても好きな聖句です。 『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。全ての事について、感謝しなさい。』 とてもシンプルですが、大切な …

新企画!「使徒行伝解説」

皆さん、こんにちは。 今年から新企画を始めました!それは、 『使徒行伝解説』!! 基本的には一章ごとにアップしていく予定です。 今回はその第一回目として『第一章』をアップしました! 使徒行伝は2000 …

使徒行伝第21章・22章

『使徒行伝解説』シリーズ、第21章・22章をアップしました!(内容的に21~22章は続いています) 前回は、エペソの近くのミレトという場所で、パウロがエペソの長老たちに感動的な別れの挨拶を述べたところ …

使徒行伝第8章

お待たせしました! 使徒行伝第8章の解説をアップしました! 前回の第6・7章では、ステパノが殉教してしまうという悲しい出来事が起こりました。 その後どうなってしまったのか、というのが第8章の内容になり …

使徒行伝第23章

『使徒行伝解説』シリーズの最新版、第23章の解説をアップしました! 前回は、パウロがエルサレムで清めの儀式を行っていたところ、それを見たユダヤ教徒たちに暴行されてしまい、その後、その暴動の知らせを受け …

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。