今朝のメッセージで先生が「機会は行う前にある。神様は前哨ではない。」という内容の事をおっしゃいました。
これを聞きながら、神様の御言葉を聞いた後、周りを気にせずどうするかが大事だなと思いました。
誰かに確認したり、とりあえず様子見などしていたら手遅れになるのだなと。
聖書を見てみても、神様の御言葉を聞いた後の行動の違いで運命を左右した事例がいくつもあります。
例えば、創世記に出てくるロトの娘婿たち。彼らは神様の御言葉を戯れ事だと思った、とあります。(創世記19:14)
天使がロトに「ソドムの街が滅ぼされるから今すぐ出なさい」と知らせた後、その言葉をロトが家族に伝えました。
「ソドムの街が滅ぼされるから今すぐ出なさい。」という言葉は、直接的にはロトから聞いたかもしれませんが、根本的には神様から出た御言葉です。
神様が天使に託し、天使がロトに伝え、ロトが家族に伝えたのです。
家族は同じくロトから言葉を聞きましたが、ロトの娘、妻、娘婿たちのとった行動はそれぞれ違いました。
婿たちはソドムの街に居残り、ロトの妻は途中で後ろを振り返ってしまいました。
結局助かったのはロトと娘たちだけです。
私たちがこの結果を見た時はこうなるのも当然だと思うかもしれませんが、自分が当事者だったらどうでしょう?
ソドムの街は栄えていたのです。その街が滅ぼされると知らされたからと言ってすぐに出られるでしょうか?
しかも、周りの人でそのようなことを言っている人は一人もいないという状況です。
このような場合、大抵の人は、とりあえず様子を見てしまうのではないでしょうか?
でも、実際滅ぼされるという確信が持てるときにはもう裁きが始まっているときで、その時は逃げる時間もなく一緒に滅びるしかありません。
まさしく、機会は行う前にあるという事です。
ノアの時も同じです。
ノアが神様から「洪水が起こるから箱舟を作りなさい。」と言われました。
ノアはそれを人々に伝えました。聖書には「義の宣伝者」と書かれていますから、ノアが人々に義を宣伝したことは明らかです。(ペテロⅡ2:5)
何人がノアの話を聞いたのかはわかりません。でも、結果としてノアを含め8人だけしか救われませんでした。
洪水が起こり始めた時は人々は慌てたでしょう。でも、直前まで人々は気づかず普通の生活をしていたのです。
『洪水の出る前、ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。 そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。』(マタイ24:38)
機会は行う前にあったのです。
こういう話を、聖書の中だけの話として読んではいけないと思います。
人々が気付き始めるときは、神様側ではすでに始まっているからです。というか、逆ですね。神様が始めたから人が気付き始めた、という事ですね。
ですから、前もって知らせてくれた時に即行動しないと大変なことになります。
周りの様子に合わせすぎたり、誰かに確認するまで待っていたりして手遅れになることがある、という事です。
聖書には「聞いていたのに手遅れになった人」の話がたくさんあります。
聖書を教訓にしつつ、最新のメッセージに耳を傾けて賢く生きていきたいですね。