私が30個論の講義以外でも聖書を頑張って勉強したのには、あるきっかけがあります。
それは、1999年。墓の期間に入って、先生が視界から消えた時期です。一時期は説教も届かなかったし、とにかく御言葉含め与えられるものがグッと減りました。
当時私は牧会していましたが、その時はまだ今のように青年部や家庭局が多くなく、ほとんどが大学生だったんです。
そういう状況の中、大学は春休み期間に入りました。教会メンバーの半数以上が大学生だったのでこの期間どうするかがとても重要でした。
そこで春休み企画として、イエス様の事を学ぼう、という事でマタイによる福音書の講義をすることにしました。
先生から届くものが急になくなってしまったのと、牧会者として日ごろから、みんなが聖書の基本知識があまりにもないことが気になっていたためです。
私は元々カトリックの人だったから、一般のクリスチャンの常識みたいなものは認識していたんですね。でも、摂理人達は、自らクリスチャンを名乗りながら聖書の流れをちゃんと分かってなかったのですごく気になっていたんです。
それで私から「春休みは聖書を学ぼう!」と言って提案したところ、みんなも喜んでくれたのでほぼ毎日午前中に聖書の講義をしました。
とは言っても、私は元々カトリックの人ではありましたが、聖書に詳しいわけではありませんでした。実は、その時点で30個論で出てくる聖句以外はあまり分かってなかったのです。
ですから、「聖書の講義をします!」と宣言したものの、私自身がすぐに人に教えられる状態じゃなかったから、それから聖書辞典なども買って、猛勉強を始めました。
それも、明日講義する分を今日勉強する、という感じ。正直かなりサバイバルでした。(笑)
そして午前中講義が終わって帰ってきたら、また明日の講義の分を勉強して準備する、という事の繰り返しを約一か月続けました。
講義は毎日1時間半~2時間くらいしました。その時間分の講義をするためには準備が倍以上かかります。つまり、3~4時間くらい準備のために勉強していたんです。もうすでに講義案ができている講義をするならそんなに時間はかかりませんが、講義案作成から始めていたので大変でした。(^^;
しかも、水曜と日曜は牧会者が説教しないといけないからその準備も加わります。 なので、その春休み期間はほとんど家に缶詰めになって受験生のように勉強していました。
途中で、なんで私はこんな自分の首を絞めるようなことを自らやっているのだろう??と思いましたが、思った以上に、みんなが講義を喜んでくれていたので最後まで頑張ることができました。
その結果、私が一番良かったなと感じたのは、みんなが聖書を学ぶことで信仰的に自信がつき、霊的に強くなったことです。雰囲気でついてくるのではなく聖書的な根拠がはっきりわかって霊的にしっかりしたのです。
これが好評だったので、その年の夏休みには使徒行伝の講義もすることになりました。その時もやはり、前日に翌日の講義の分の勉強をする、という感じでした。(笑)
今となっては、その時猛勉強したことが私の糧となり、資産となっています。
当時、与えられるものがなくなってどうしようか、というところから始まり、ほぼ見切り発車で無謀な企画をしましたが、結果的には私自身が一番得をしたと思って感謝しています。
先生は「○○がないからできない」という話は好きではありません。ないならないなりにやる、または作り出してやる、というのが先生の基本方針です。
もしかしたら、ない時は一番自分が成長できるチャンスかもしれませんね。(笑)