私達は神様からたくさんの祝福を受けていますが、人間の問題はそれをいつの間にか奪われてしまうことです。
たとえば、何かいいことがあると「神様、感謝します!」といって恵みいっぱいになります。しかし、嫌なことが起こると瞬間恵みがなくなります。
昔先生が人の心は瞬間で変わるという事をトイレを例に挙げて話してくださいました。トイレに行きたいときは「トイレ~!」とトイレめがけて一目散だけど、事が済んでトイレから出る時はもう見向きもしない、と。(笑)
これくらい人間の心は変わりやすいです。
変わらないなら信仰が揺れるという現象は起きません。心が変わるから信仰も揺れて奪われてしまうのです。
だから聖書にはこう書いてあります。
『私はすぐに来る。あなたの冠が誰にも奪われないように、自分の持っているものを固く守っていなさい。』(黙示録3:11)
「奪われないように固く守りなさい」とありますよね?「守る」ってどういうことでしょうか?
なんとなくイメージとしては持っているものを固く抱きしめるとか、渡さないように大事に隠すとか、とにかく大事に大事にすることが守ること、という感じがしませんか?
でも、実際は神様からもらったものを大事にしない人はほぼいないんじゃないかと思うのです。少なくとも、もらった瞬間はとても感謝しますよね?決して大事に思わないわけじゃないと思うんです。
それが時が経つと忘れてしまったり、無感覚になってしまうことが問題です。そしてまさにこれこそが「奪われる」という状態です。
大事にしていたのにどうして?と思いますよね?私もそれについて考えたんですが、聖書にはこうも書いてあります。
『バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている。』(マタイ11:12)
この聖句の後半「激しく襲う者たちが奪っている」というところを核心的に考えてみると、奪われるのは激しく襲う者たちがいるからだ、という事が分かります。
皆さん、現実の世界で自分が襲われたらどうしますか?ただじっとしてますか?恐らくそれはないでしょう。一番いいのはやり返して相手を締め上げることですが、それができなくても、少なくとも叫び声をあげるとか、助けを求めるとか、そういうことはすると思うんです。そうじゃないと自分を守れません。
つまり、守るという事はじっとして大事に思うことだけでは成り立たないという事です。激しく襲ってくる相手に対してこちらからも激しく襲って攻撃しないといけないわけです。
私達を襲う者は紛れもなくサタンです。私たちはサタンを攻撃しないといけないんです。攻撃と言ってもサタンに戦いを挑むのではなく、サタンが手を出せないように仕掛け続けるという事です。
例えば、恵みを奪われたくなければ自ら恵み深くするのです。再び恵みを与えられることだけを考えてじっと待っていては奪われます。
また、神様からいただいた賜物を使い続けることです。ただし、救いのために使うことが大切です。私利私欲のために使うと奪われます。
伝道も、見方を変えれば、サタンの陣地に人質になってる神様の人を奪ってくる行為です。だからそれなりの心意気と行動力が必要です。
つまり、守ることは襲って奪うことです。じっとして待っていては守れません。
でも、襲って奪うから楽しいのです。(笑)
ドンドン襲って奪った分、神様がもっとくださいます。
自らの積極的な行いによって、神様からいただいたものを一生奪われずに生きていきたいですね。