今週は、「自分を造る」ということがテーマですね。
自分が造られた通りに使われると。
今週の聖書の本文でもあるテモテ第二の手紙二章の器の話ですが、昔、先生からその箇所の話を聞いたことがあり、その時凄く衝撃を受けたのを覚えています。
尊い器は尊く使われ、卑しい器は卑しく使われる、というところまでは普通に納得だったのですが、びっくりしたのはその先の話です。まさに新しい時代の話です。(笑)
今の時代は、大金持ちの家なら全ての器が金の器でも良いのだと。例えば犬の餌の器とかおまるとか(笑)そういうものも金の器で造っても良いのだと。
つまり、卑しいことから尊いことまで全てを金の器でそろえるということです。
確かに。。。犬に金の器を使わせてはいけない、という事はありませんからね。自分達も金の器を使い、余裕があるなら犬にも金の器を使わせてもいいわけです。
尊いものが金の器ならみんなが喜ぶのは勿論の事、ましてや犬の器まで金だったら、この家は凄いな~と感嘆するしかありません。
逆に土器などの器だったら使い道が限られます。犬の器なら土器でも何とも思われないかもしれませんが、尊いことには使えません。
このように、卑しい器なら使い道が限定されますが、金の器だったらどう使われても喜ばれるということです。
だから自分を金の器に造るべきなのだと。
凄く納得ですよね。
自分を金の器に造ったら神様にも喜ばれるし、人にも喜ばれるという事です。
やっぱり先生の聖書の話は面白くて悟り深いです!
最初に喩えた「大金持ちの家」とは神様の家のことです。
神様は、ご自分の家をすべて金の器にすることを望んでいらっしゃるのだということです。
是非とも今、自分の時間がある今のこの時を逃さず、自分という器を金の器として造っていきたいですね!
以前、この話をサクセスストーリーで伝えたことがあります。そこではもう少し詳しく話しています。
リンクを張っておくので興味のある方は是非見てみてくださいね!(音声・映像・文章全てあります)
サクセスストーリー~成功の秘密~ 31.『金の器の人生』
http://pastor.tokyo/charis/writing/gold-vessel-life/