今朝、先生が「神様の法は易しい」とおっしゃっていましたが、それを聞きながら以前先生から教えていただいたことを思い出しました。
どんな内容かというと、
『神様は本当に優しい方だ。なぜなら易しい簡単な法を人間に与えて下さったからだ。
例えば、「私以外なにものをも神としてはならない」「偶像を作って拝んではいけない」。この法が本当に易しい。
これがもし「いろんな神様拝みなさい」だったら大変だ。あっちの神様こっちの神様と毎日忙しくあれこれ拝まないといけない。
一つ拝み忘れても罪になってしまう。だから一人の神様だけ礼拝すればいいならそれが易しい。
「殺すな」「姦淫するな」「盗むな」「父と母を敬え」などこういう法が易しい。
もし、「殺せ」「姦淫しろ」「盗め」「父と母を敬うな」だったら本当に大変だ。
一日を振り返って誰も殺してなければ「あぁ、どうしよう。今日誰も殺してない。早くだれか殺さなきゃ!」という事になってしまう。
何も盗んでいなければ夜に出かけて盗みに行かないといけない。盗まないと法に引っかかってしまうから。
毎日殺したり盗んだり、姦淫したりしないといけないからそっちの方がもっと大変だ。
親に何かしてもらって「ありがとうございます。」なんて言ってしまったら罪になってしまう。
だから神様の法は守るのが易しいのだ。』
こんな感じの話でした。
聞いた当時は強烈なインパクトがあり、そういう考え方があったのかと心底感心していました。そのおかげで今でもバッチリ覚えています。(笑)
愛に関しても、『愛しなさい』の方が『憎みなさい』より易しいのだとおっしゃいました。
確かに、頑張って憎まないといけないのは辛いですよね。
複雑なことは考えずに単純に考えれば、憎むより愛する方が気分が良いです。
私達は神様の創造物であって神様の性質を受け継いでいるから、本来は神様の法通りに生きる方が自然体になれるのだと思います。
でも、サタンが私達に複雑な考えを入れて、神様の法を守りたくない心が生じるようにするのです。
神様の法はとてもシンプルです。真理はシンプル。〇は〇、□は□。それだけです。
でもサタンは〇を「もしかしたら〇と思ってるだけかもよ。」という考えを入れるのです。
悪は悪、善は善です。悪なのに『本当は悪とも言えないかもよ』といったり、善なのに『それって本当に善だと言える?』と言ったりするのです。
アダムとエバはそれで騙されました。私たちは複雑な考えを取り除いて頭をもっとシンプルにしないといけないですね。
よくわからなくても、「神様が良いと言うなら良いのだろう、神様がダメと言うならダメなのだろう。」こう考えて生きるのが一番幸せだと思います。
神様の法について、改めてそのありがたみを考えてみたいですね。