『平和』という単語を聞くと、どういう概念を思い浮かべますか?
とりあえず、『平和』の意味を辞書を引いてみるとこんな事が書かれています。
- 戦争や紛争がなく、世の中がおだやかな状態にあること。また、そのさま。
- 心配やもめごとがなく、おだやかなこと。また、そのさま。
辞書には1番に戦争や紛争がない世の中だと書かれてます。確かに平和の反対語は戦争という感じがします。
だから、私自身も「平和」と聞くとちょっと大きな概念に感じていました。
しかも、戦争を起こすのは政治家たちであって自分じゃないですよね?だから、戦争も平和も自分自身のあずかり知らない所で起こるような感覚でした。
2番目の心配やもめごとがない、という項目についても、心配やもめごとというのは誰かが自分に仕掛けてくるような感覚を持っていました。
心配になるような事やもめごとがどこかで発生して自分にも影響が及んでくるような感じ。
だから、いずれにせよ、平和というのは実際に自分が作り出すという感覚がなかったんですね。
でも、私が新入生の時「千年王国論」という講義があったのですが、それを聞いて衝撃を受けました。
特にルカによる福音書17:20~21の聖句。
『 神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。 』
神の国、すなわち天国はいつ来るのかという質問に対して、イエス様は「見られる形ではない」と言ったのです。
こことかあそことかじゃなくてあなたがたのただ中だ、と。つまり、あなた方の心の中だと。
さらに、「天国はからし種のようだ」とか「天国はパン種にのようだ」と言いました。(マタイ13:31~33)
天国というのは種からどんどん大きくなっていく、大きくしていくものだという事です。
私は神の国や天国という言葉は平和以上に大きな概念に感じていました。それこそ神様の領域のような感じ。
でも、先生から聖書を学び、まずは自分自身を天国に作りなさい、と教えてもらったのです。そうして自分を天国に作った人が一人二人と増えていき、それが家族の天国となり、村の天国となり、国の天国となって、地上が天国になると。
まとめて言うと、みことばの種が自分の心に撒かれ、それを自分の中で成長させて自分自身を天国として作り、そういう人が増えていくことが地上に天国をもたらすことになる、という事です。
心配やもめごとも誰かが自分に吹っ掛けてくるのではなく、自分の心が作り出しているのです。
結局、平和は自分自身から、ということなんですね。
昨日の説教を聞きながらなんとなく千年王国論を学んだ時の事を思い出しました。
今はバイブルスタディに千年王国論がないですよね?ちょっと残念な気もしますが。。。
いずれにしても、天国、平和、という大きな言葉も自分自身がアクションを起こせるものとして教えてくださったことに感謝するばかりです。
自分自身を御言葉で磨いて天国級の自分に作り上げたいですね。