毎年夏休みになると、水難事故のニュースを毎日のように目にします。
夏休みを利用して川や海で遊んでいて溺れてしまうという残念な事故が後を絶ちません。
先日、女の子3人が溺れた小学1年生の子を救助した、という記事を見ました。
正確には、この3人が溺れた子を発見し、持ち上げ、大人たちに知らせて溺れた子の父親が心肺蘇生措置を行い、一命をとりとめた、というもの。
この溺れた子はたまたま発見されたから良かったです。
神様が女の子3人を溺れた子の近くに行かせて発見させたのだと思います。
以前にも記事にしたことがありましたが、実は、人が溺れるときって静かなんです。(私はその昔、日赤水上安全法救助員という免許を持っていてちょっとだけ水難救助に詳しいです。)
恐らく一般的には、溺れる人って「キャ~!!誰か~~!助けて~!!」と泣き叫び、バタバタしているというイメージなんじゃないかと思うのです。
でも、実際はそうではありません。
静かに沈んでいくのです。
ですから、何かあったら叫び声がするだろう、と思って目を離すと非常に危険です。
流れがある川だったら流される可能性があるのはもちろんのこと、流れがない水場でも溺れます。
以前、長身の男性が私の膝上くらいの水の深さのところで溺れそうになったのを見たことがあるのですが、立ち上がれば済むことなのに、その時は本人はパニックに陥って立ち上がることもできず、まるまったまま頭を水から出さずにいるのです。
その時は近くに人がたくさんいたから大事には至りませんでしたが、人って冷静さを失うとこのようになるのだな、と思いました。
恐らく、足が滑って瞬間水を飲んだか何かで一瞬呼吸ができなくなり、パニックになったのだと思います。
溺れると、本人は声も出せず、助けを求めることもできません。
ですから、沈んでしまったら発見されない限り自力では助かりません。
そして、これは霊的にも同じことが言えるのではないかと思います。
本当に苦しくなってしまった人は助けを求めることもできず、人知れず教会に来れなくなるということがあります。
この場合、反発心や自らサタンの道を選んで来なくなる人の事ではなく、頑張っていながら来れなくなる人のことを言っています。
水難救助の場合、救助する実力のない人(泳げない人や自信のない人)は水に入って助けに行ってはいけない、という鉄則があります。
二重事故を防ぐためです。
善意で飛び込んだものの、自分も溺れてしまう、という悲劇も多いのです。
救いの現場でもこのようなことが起きないように、指導者は注意しなければいけないと思います。
メンバーがキャパオーバーになってないか。手に負えない人を任せていないか。
また、指導者ではない方々も、自分が手に負えないと思ったら「言えない」ではなく、きちんと指導者に言って手に負えるだけのことをした方が良いです。
そうじゃないと、自分が溺れて静かに沈んで行ってしまいます。そうなってからでは遅いのです。
周囲では「あんなに頑張ってたのにどうして?」となるでしょう。でも、何事も結果には原因があります。
自己犠牲が美しいのは、一瞬犠牲になったように思えても最終的には救いになるからであって、本当に犠牲者になってしまったら神様は喜びません。
まずは、溺れないようにすることが第一ですし、もし、溺れかけている人がいたならば、助けの手を差し伸べることを躊躇してはいけないと思います。
霊も肉も、溺れるときは静かです。大騒ぎはしません。
「人が溺れるときは静かに沈んでいく」という事は命を守る知識として覚えておいた方が良いでしょう。
溺れた小学1年生を救助した女の子3人組「川の中に沈んで・・・丸まってました」
https://news.yahoo.co.jp/articles/f1de81f7a84e41ff89db553b0ad3d6f553ad88c4