今日は敬老の日ですね。
以前のように日にちが決まってないからついうっかりしてしまいます。
昔は確か9月15日でしたよね?
個人的には日にちが決まっている方が何の日なのか認識しやすいですけど。。最近はただの連休としか認識できなくなってしまっています。(^^;
ところで、今朝、敬老の日でもコロナ感染を恐れて孫にも会えず、家に籠る高齢者に関する記事を読みました。
医療関係者の話によると、コロナ禍の外出自粛により、高齢者が健康診断に行くのを控えてしまい、病気の早期発見ができなくなったり、施設では認知症の症状が悪化したりなどしているそうです。
この問題、あまり当事者以外は認識ないかもしれませんが、私はかなり深刻に受け止めました。
というのも、私の父がまさにその該当者だからです。
父は現在認知症で施設に入っていますが、施設からの脱走歴が過去3回もあるほど(^^;、肉体的には元気だったんです。
ところが、コロナ禍で施設側も入居者さんたちの外出を自粛し始め、外部からの面会も禁止になりました。
結果として私の父はこの夏に歩行器を購入する状態になってしまいました。
元々ちょっと目を離すと脱走してしまうほどスタスタ歩けていたのに、外出自粛であっという間に筋力が弱ってしまい、歩行器がないと危険な状態になってしまったそうです。
自力だけだと脚が前に出なくなってしまっているのだとか。
認知症もちょっと進んでしまったらしく、最近はスタッフとの会話もつじつまが合わないことが増えてきたそうです。
こういう状態なのに、この全ての情報は毎月送られてくる報告書を読んでわかるだけで、実際に会って状態を確かめることもできません。
7月からは県内の親族の面会はOKになったものの、東京からの訪問者はお断りという事で私は会いに行けないんです。
結局、私のところには歩行器購入の同意書と請求書が送られてくるだけ。
一応、確認のため電話で責任者の方とは話しましたけどね。
それでいろいろ考えてしまいました。コロナ感染を恐れて高齢者を外出自粛させることについて。
自分の自由意思で自粛している方はまだ良いと思うのです。自分の選択ですし、考えがハッキリあるから自粛生活も工夫されたりしているでしょう。
文明の利器を使いこなしてオンラインで家族とやりとりしている方や、健康維持のために近所の散歩だけはするという高齢者の方もいらっしゃいますからね。
でも、私の父のように、わけもわからず突然大好きなお出かけができなくなり、生活に支障をきたすほど足腰が弱くなり、ストレスも溜まって認知症も進み、家族にも会えないという状態が続いたら。。。もしかしてこれで人生が終わることもあり得るんじゃないのかな?と。
そうなると何のための外出自粛??と。
正直、このままだったらまもなく車いす生活になってしまう可能性が大きいなと覚悟しています。
他の記事では、コロナ禍でホスピスにも面会に行けず、孤独に逝かせてしまったという家族の話も読みました。
一体どうするのが正解なのかはよく分からないけれど、「コロナ感染」一点だけだけを考えた過剰な外出自粛はかえって病人を増やしているんじゃないのかな?と思いました。
少なくとも終末期医療の現場に関してはある程度規制を緩めてもいいのではないかなと。
世の中の反応も過剰なんですよね。メディアが煽ってるからそうなってるわけですが。。
東京はそうでもありませんが、地方に行くと一人陽性者が出ただけで大ごとになってしまったり、近所の有名人になりたくないから極力感染しないことに気を使っている人もいると聞きました。
病気そのものよりも風評被害が怖いという。。。
結局一番怖いのは人間なんですかね。(>_<)
本当に人間が回復しないと病気以上に怖いことが起こりますね。
敬老の日の今日、改めて人生の後半の過ごし方や人生の締めくくり方について、最期まで悔いなく御心通りに過ごすにはどうすれば良いのか、など考えてみたいなと思いました。
敬老の日 重症化恐れ「孫にも会えない」籠る高齢者
https://news.yahoo.co.jp/articles/d31c94d42981a623fd2ca43071704ca68db0d77c