最近読んだ本に面白いことが書いてありました。
「ロボットを友達と思うのは日本人だけ」
最初にこの言葉だけを読んだときは意味が分からなかったのですが、よく読んでみると、例えばドラえもんとか、鉄腕アトムとか、そういうキャラクターが存在し、それが自然に日本人に馴染んでいることを指していました。
欧米では、ロボットはあくまでもロボットで「機械」。人間社会の中に入り込んで親しく生活するとかそういう発想はないのだそうです。
この本は外国人による日本人研究を紹介した本で日本人とは違った視点で日本が書かれていて面白いです。
この本によると、ロボットを友達にもしてしまうという発想の根源は、日本人特有の信仰観から来るのではないかと。とっても簡単に言うと、日本人は木や石など自然万物にも魂が宿ると考えていて、同時にモノにも魂が宿ると考える習性があるからではないか、ということなんです。
日本人がモノを非常に大切にするのもこのせいだと。
うむ。。確かに、意識はしてないけれど、粗末に扱うとモノが可哀そうだとか、長年使いこんで寿命が来て捨てることになったモノには、よく頑張ってくれた、ご苦労様、とかそういうことは考えるなと。イマドキの方々は分かりませんが、親の世代なんかは特にそういう傾向がありますね。
モノを魂が宿るものとして偶像化して拝んでしまうと問題ですが、でも確かに日本人にはモノを擬人化して扱う傾向というのはあるなと思いました。
それで、もしかしたらこれも神様が下さった民族性かもしれないなと思いました。モノに魂が宿るという考えにはちょっと修正は必要かもしれませんが、確かに自然万物には、神様の創造物として神様の思いが込められていますからね。だからこそ自然啓示が受けられるわけです。
それと・・・ちょっとうろ覚えですが、動植物には霊はないけど魂のようなものはあると学んだような気がします。
とにかく、そういう事を昔の日本人は感じ取っていたのかな?と思いました。そう考えると本来、日本人は霊的ですね。
度が過ぎると偶像崇拝になってしまいますが、自然万物に神聖さを感じて大切にする、という精神は今も必要だなと思いますし、それを通して神様からのメッセージを感じ取れるなら良いですよね。
いろいろ学んで分かってきている分、より洗練された形で、神様が下さった自分たちの民族性の長所を伸ばしていけたら良いですね。