皆さんはフィギュアスケートをご覧になりますか?
先日、グランプリファイナルという試合が行われ、オリンピック金メダリストのザギトワ選手(ロシア)が最下位の6位だったんです。
一方、表彰台を飾ったのは15歳の新鋭たちでいずれも子供体形(と言ったら失礼かもしれませんが)小さくて細くてジャンプをバンバン飛ぶような子達でした。
そのことについて、あちこちからザギトワの敗因は「体系変化」が原因だとする論調がありました。
というのは、彼女は今17歳で、オリンピックの頃より体つきがアスリートというより「女性らしく」なってきたからです。
しかし、元世界選手権女王のマリヤ・ブッテルスカヤ氏は違った見解を示しました。以下、記事を引用しますね。
『 うまくいかなかった理由については「私の考えでは精神的なものだと思います」とメンタル面にあると分析。「ザギトワの問題は頭から来ています。彼女には自信が足りず、技術点の部分で他のスケーターに負けているのが分かっている。そこから綻びが生まれました」と語り、心の余裕が足りないことが背景にあると見ていた。 』
実際、今回のメダリストたちは女子だけど4回転や3回転半のジャンプをバンバン飛ぶ子達でした。しかし、ザギトワ選手はそういう大技は持ち合わせていなかったんです。「技術点で負けていると分かっている」というのはそういう事だと思います。
それで自信がないまま試合に臨んでしまったのが敗因だ、という見解を元世界女王は示しました。
この記事を読みながら、こういうことは私達にもあるんじゃないのかな?と思いました。
ある面で自分よりすごいと思える人を見ると急に委縮して自信を無くしてしまう、という事。
でも、人間は神様ではないので何もかも完璧という存在ではありません。何かそれぞれの個性が光る存在です。
他人の個性の光を見て、そこだけを見て自信を無くす、ということは、自分の個性の光を見ていないことになります。
今回のザギトワ選手も、「ジャンプ」という一点だけ見たら若い子たちが強かったかもしれないけれど、私の個人的見解では「美しさ」に焦点を当てれば若い子たちよりはるかに優っていたと思います。
しかも「体系変化」と言っても、本人が暴飲暴食して体形管理に失敗したわけではなく、年齢によって誰でも起こることで、一般人の女性にとっては喜ばしくもあることなのです。
決して本人の努力不足とかそういうことではないわけです。
こういう、神様が女性に与えた変化(本来は喜ばしいこと)をマイナスに捉えてしまう論調もサタンの罠だな~と思いましたし、もしこれを過激な食事制限や薬等で無理矢理止めようとするなら、後に人間として心身ともに悪影響があることは明らかです。
神様が人間に与えた法則を心理的にマイナスに捉え、自分に与えて下さった個性の光より、他人の個性の光を大きく見て自信を無くすというのは本当に怖いことだな~と思いました。
さらに、「オリンピック金メダリスト」という肩書がその後の人生に必ずしも良い影響ばかりを与えるわけじゃないんだな、とも思いました。
一度頂点に登ってしまったら、その後の試合は2位でも3位でも「落ちた」という事になってしまいます。
そういうことを開き直って受け入れられるメンタルなら大丈夫だと思いますが、一々気にしていまう性格だと辛いだろうなと。まだ若いですしね。
人間は変化するように創造されているし、その変化は喜ばしいものです。
私達は、神様が下さった法則と個性を貴重に思いながら、自信を持って生きていきたいですね。
最下位ザギトワの敗因は体形変化か
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191209-00096944-theanswer-spo