最近、Twitterであるツイートを見て考えが深くなりました。
それは若い人のツイートなんですが、ゲーム依存から更生させる施設に関する記事を読んでの感想だったんですね。
その感想が、「最近は『ゲーム依存→クリニック→ゲーム時間を減らす→仕事のマナーを学ぶ』というニュースをよく見かけるけれど、それよりも『ゲーム依存→プロゲーマーのチームに入る→楽しく活動』これで良いと思う」というもの。
さらに、「世の中は『ゲーム=悪』だけど労働で消耗するよりはプロゲーマーを目指した方がよさそう」「ゲーム廃人は才能なので生かすべき」とあったんです。
このツイートに1000件近い「いいね」が押されていて100件以上リツイートされていました。
私も最初に読んだときは、凄いな~と思いました。この考え方が。こんな発想私はできませんから。若い人は固定観念にとらわれないのだな、と一瞬感心したんですが、ふと自分の父親の事が思い浮かびました。
私の父は母が他界した後、(お恥ずかしながら)一時的にアルコール依存症になったんです。それで「依存症」というものを間近に見ることになったのですが、それを見る限り、全然楽しそうじゃありませんでし、それを生かすとかそういう次元じゃありませんでした。
ご飯も食べずに朝からお酒ばかり飲んでいるんです。顔もげっそりして呂律も回らなくて日常生活もボロボロ。なにもやる気が起きないのにお酒だけは飲み続けるんです。
飲みたいから飲む、飲みたくないから飲まない、これができるなら依存症ではないと思います。依存症ってそういうものじゃないんですよ。もう、自分の意志とは関係がなくなってるんです。
医学的な定義は専門家じゃないからわかりませんが、私が思うに、依存症というのは(依存している)モノに主管されている状態じゃないかと思うんです。
これは神様が創造した秩序を狂わせることです。
本来は、万物というのは神様が人間のために「人間がうまく治めて使うように」と創ってくださったものです。
だから人間が感謝して必要な分を使って自分の生命を維持したり、自分の成長の助けにしたり、万物から神様のメッセージを感じたりなどするのが本来の姿です。これは創造目的で学ぶ第三の祝福(万物主管)です。
ところが、依存症というのは万物に治められてる状態、もっと端的な言い方をすると万物に操られてる状態だと思うんです。人間が万物の操り人形みたいになってると思えばよいと思います。
本来は人間がコントロールしないといけないものなのに逆にコントロールされてしまっているのです。これは神様の法則から外れますし、第三の祝福が奪われた状態です。だから楽しくないし幸せにもならないと思うんですよね。
実際、私の父も依存症だった時は何を言っても聞かず、楽しみたいから飲むというよりは飲まないと落ち着かなくて他に何もできない状態だから飲むしかないという感じでした。
そのゲーム依存症の記事も見てみたのですが、その記事自体は決してプロゲーマーを勧める記事ではなく、20代後半の男性がクリニックに通いながらゲーム依存症から更生しようともがいている姿を描いた記事でした。
もしかしたら若い世代の一部の人は「更生のためにもがく」という姿事態に嫌悪感があるのかもしれませんね。「更生=没個性」と思っているのかもしれません。好きなものを取り上げられて大人の価値観で無理矢理更生させられている、と映っているのかもしれません。今は多様な価値観や稼ぎ方があるのに、と。
「多様な価値観」も、神様の法と秩序の範囲内でなら「個性豊かで楽しい」という事になると思いますが、そこから外れたら堕落です。
サタンは「多様性」「多様化」という言葉で人間を誘ってきますが、それに騙されてはいけません。
サタンは神様の法と秩序を乱すのが目的なのです。それは即ち人間の祝福を奪うことになるからです。
そもそもサタン自体が神様の秩序を乱して上に立とうとしている存在です。それを自ら多様性と呼んでいるだけです。でも実際はサタンも神様の前でどうにもできないんですけどね。サタンは天国には入れませんから。神様の許可が下りないからです。
サタン論で学んだ通り、サタンは何から何まで全てがウソなのではなく、真理を混ぜて利用するのです。だから騙されるのです。多様性そのものが悪いのではありません。でも、神様の法を破ってまではいけないという事です。
でも、こういう問題は『心の問題』として扱うと限界がありますよね。本人が良いならそれで良いのでは?という話になりますから。
早く霊的な法則まで人々が知るようにならないといけないな~と思いました。
「御心が天で行なわれるとおり、地にも行われますように。」
本当にこれを実践しないといけないですね!