ちょっと考えさせられる記事を見ました。死と向き合う人の記事です。
その記事には癌で余命一か月という宣告を受けた人が、死の4日前に取材された内容が記されていました。
その人が言うには、世の中に出ている癌の情報は常に癌を治した、克服したというものばかりで治らずに死に向かっている人の情報がない、と。だから患者は一人で向き合うしかない、という事でした。
確かに、日本では死は不吉なものとされて、口にするのも憚られる風潮があります。でも確実に誰もがいずれは直面するものです。
この時ばかりは、とにかく前向きに明るく振舞う、というただのポジティブシンキングだけでは解決できない問題があります。
この取材を受けた人も最初は明るく振舞っていたけれど、病気が進行するとやはり気持ちだけではどうしようもできない、あらがえないものがあると思った、と言ってます。
実際、病気が進行すると自分自身が死に向かっていることを着実に自覚していくし、痛みがひどくなると作り笑いすらできなくなったりするし、死への恐怖が日に日に増し加わります。
残された家族への心配もあるでしょう。
だからこそ、やはり霊的なことに関する知識が必要だと思うのです。本人のためにも残された人のためにも。
そしてそういう時は周りに気を使って明るく振舞うことよりも自分の準備に集中した方が良いと思うのです。
本来はそういう部分を宗教が担うべきだと思うのですが、残念なことに日本は宗教はあまり好まれません。
比較的受け入れられている宗教も、どちらかというと「御利益が得られる」という類のものが多いように感じます。これを拝むと禍が減るとか、良いことが起きるとか。
それも大事ではありますが、この世からあの世へ移る準備という大事なことが疎かになっていると人生をうまく締めくくれないと思うんですね。本来はそういうことが人間にとって本当に必要な知識なんじゃないのかな?と思うのです。
「終わり良ければ全て良し」という言葉がありますが、せっかくこの世でうまく生きれても、最期に恐怖心を克服できずに自分の運命を恨んだり天に暴言でも吐いてしまったりしたらそれこそ人生が台無しになってしまいます。
人間は一度だけ死ぬことと、その後審判を受けることが定まっています。(へブル9:27)
つまり人生は一度だけ。一発勝負です。
だからこそ、霊界についてちゃんと勉強する必要があると思うんですね。
医療が発達した現代だからこそ、ポックリ逝かずに長い闘病生活を強いられているという面もあると思います。
人生の締めくくり方や死とどう向き合うか、ということに関しては、学校でも教わりません。
こういう現代社会だからこそ、宗教の果たすべき役割が本当に大きいなと思いました。
参考:『末期がんになって気づいたことがある 「余命1カ月」の男性が、世を去る4日前に遺した言葉』 ➡ https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190903-00010000-globeplus-int